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石井紫郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本学士院より公表された肖像

石井 紫郎(いしい しろう、1935年5月31日 - 2023年1月17日[1])は、日本法学者日本法制史[1])。東京大学名誉教授[1]国際日本文化研究センター名誉教授。日本学士院会員[2][1]日本学術振興会学術システム研究センター顧問、日本学術会議外部評価委員。日本学生野球憲章検討委員会委員長[1]。東京出身。

略歴

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  • 1958年 司法試験第二次試験合格
  • 1959年 東京大学法学部卒業
  • 1962年 東京大学法学部助教授
  • 1972年 東京大学法学部教授
  • 1990年 東京大学法学部長
  • 1992年 東京大学副学長
  • 1995年 国際日本文化研究センター教授
  • 2001年 内閣府総合科学技術常勤議員
  • 2003年 桐蔭横浜大学大学院法学研究科客員教授
  • 2005年 桐蔭横浜大学大学院教授
  • 2009年 日本学士院会員[2]
  • 2011年 瑞宝重光章受章[3][2]
  • 2023年1月17日、肺炎のため死去した[1]。87歳没。死没日付をもって従三位に叙された[4]

家族

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妻は照明デザイナー石井幹子[1]、長女の石井リーサ明理も照明デザイナー[5]。また、ベルリンオリンピックサッカー日本代表竹内悌三は岳父である。

著書

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単著

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  • 『日本国制史研究Ⅰ 権力と土地所有』(東京大学出版会、1966)
  • 『日本国制史研究Ⅱ 日本人の国家生活』(東京大学出版会、1986)
  • 『日本国制史研究Ⅲ 日本人の法生活』(東京大学出版会、2012)

共著

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(石井紫郎他『 アルベルト・モッセ及びリナ・モッセの日本での書簡集 1886 - 1889/祖国のように』、1995年)

編著

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翻訳

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脚註

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 石井紫郎氏が死去 東京大名誉教授」『日本経済新聞』2023年1月21日。2023年1月21日閲覧。
  2. ^ a b c "会員個人情報". 日本学士院. 2010年7月22日. 2010年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月22日閲覧
  3. ^ 春の叙勲 九州から431人受章 西日本新聞 2011年6月18日閲覧
  4. ^ 『官報』第923号7頁 令和5年2月22日
  5. ^ 照明デザイナーの母は「お仕事して夜帰ってくる人」|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE

関連項目

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先代
小平桂一
文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会長
2005年 - 2007年
次代
佐々木毅