石川総朗
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年(1692年) |
死没 | 享保17年閏5月2日(1732年6月23日) |
別名 | 牛三郎、大膳、監物 |
戒名 | 大善院殿弘善日良 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 石川氏(本姓:清和源氏) |
父母 | 父:石川総昌、母:石川義當の娘 |
兄弟 | 安千代、千蔵、阿くま(近藤用相室)、大久保総比(大久保忠明養子)、総朗 |
妻 | 正室:松平忠明の娘 |
子 |
牛之助、仁之助、亀之助 養子:総共 |
石川 総朗(いしかわ ふさあきら)は、江戸時代中期の旗本。総氏系石川家(保久石川家)3代。
生涯
[編集]元禄5年(1692年)総昌の四男として誕生し、兄早世により嗣子となる。母は大嶋石川家の石川義當の娘。宝永6年6月12日(1708年7月29日)将軍徳川家宣に拝謁し、父の致仕を受け享保8年7月23日(1723年8月23日)家督を継ぐ。
生来病弱で享保17年閏5月2日(1732年6月23日)築地萬年橋の屋敷にて死去した。その跡は、兄弟である大久保総比の次男で養子の総共が継いだ。
参考文献
[編集]- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家譜難波録』