大久保総比
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄3年(1690年) |
死没 | 享保15年6月1日(1730年7月15日) |
別名 | 猪之助・縫殿、武伴 |
戒名 | 善修院殿日慈 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱→家継→吉宗 |
氏族 | 石川氏→大久保氏 |
父母 |
父:石川総昌、母:石川義當の娘 養父:大久保忠明 |
兄弟 | 安千代、千藏、阿くま(近藤用相室)、総比、総朗 |
子 |
総朋、阿てる(石河政武室)、某、石川総共 総候(常陸下館藩主石川総陽養子) 阿ふう(今大路道三室)、総胤、銀七郎 娘(神尾元経室)、細井勝名(細井勝尚養子) |
大久保 総比(おおくぼ ふさちか)は、江戸時代中期の旗本。忠明系石川家(大久保家)2代。
生涯
[編集]元禄3年(1690年)総昌の三男として誕生した。母は大嶋石川家の石川義當の娘。元禄5年10月2日(1692年11月9日)従堂兄弟にあたる旗本大久保忠明急死に伴い同年12月12日(1693年1月17日)、末期養子が認められ忠明の遺跡を継いだ。元禄14年8月11日(1701年9月13日)将軍徳川綱吉に拝謁し、享保15年6月1日(1730年7月15日)死去した。家督は長男総朋が継いだ。
参考文献
[編集]- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家譜難波録』