石川総朋
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳2年(1712年) |
死没 | 安永2年5月17日(1773年7月6日) |
別名 | 金之丞・亀之助、左門 |
戒名 | 圓覚院殿日中 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
氏族 | 大久保氏→石川氏 |
父母 | 父:大久保総比、母:某氏 |
兄弟 |
総朋、阿てる(石河政武室)、某、石川総共 総候(常陸下館藩主石川総陽養子) 阿ふう(今大路道三室)、総胤、銀七郎 娘(神尾元経室)、細井勝名(細井勝尚養子) |
子 | 総相、娘 |
石川 総朋(いしかわ ふさとも)は、江戸時代中期の旗本。忠明系石川家(大久保家)3代。大久保の家号を石川と改めた。
生涯
[編集]正徳2年(1712年)大久保総比の長男として誕生した。享保13年12月7日(1729年1月6日)将軍徳川吉宗に拝謁し、父死去に伴い享保15年9月2日(1730年10月13日)家督を継いだ。享保17年閏5月2日(1732年6月23日)弟石川総共が旗本である保久石川家の家督を継ぎ、元文元年2月25日(1736年4月5日)には弟総候が本家筋にも当たる常陸下館藩の養嗣子となった。なお、総共養子入り直後の享保17年11月7日(1732年12月23日)、家号を石川に改めた。明和元年8月13日(1764年9月8日)致仕し、安永2年5月17日(1773年7月6日)死去した。長男石川総相が家督を継いだ。
参考文献
[編集]- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家譜難波録』