石川総良
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永19年(1642年) |
死没 | 貞享2年6月29日(1685年7月30日) |
改名 | 伝太郎(幼名)、総良 |
別名 | 内膳(通称) |
戒名 | 本性院日顕 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
官位 | 従五位下、若狭守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国神戸藩主 |
氏族 | 石川氏 |
父母 | 父:石川総長、母:加賀爪忠澄の娘 |
兄弟 | 総良、加賀爪直清、女子 |
妻 | 正室:石川廉勝の娘、側室:本多忠義の娘 |
子 | 総茂、大久保忠明(次男)、娘(近藤徳用正室) |
石川 総良(いしかわ ふさよし)は、伊勢神戸藩の第2代藩主。伊勢亀山藩石川家分家2代。
寛永19年(1642年)、初代藩主石川総長の長男として生まれる。寛文元年(1661年)、父の死により家督を相続した。
延宝8年(1680年)閏7月、現大阪府千早赤阪村の「楠木正儀の墓」とされる五輪塔の前に石燈を寄進した。ただし、総良の時代に正儀の墓という伝承があったかは不明(詳細は楠木正儀#墓所・史跡などを参照)。
天和元年(1681年)12月、駿河田中藩主酒井忠能の改易では、仙石政明や本多忠恒らと共に田中城受け取りを担当した。
貞享2年(1685年)6月29日に死去した。享年44。跡を長男の総茂が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 石川廉勝の娘
側室
- 本多忠義の娘
子女