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石川雅実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川 雅実
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県多野郡鬼石町(現:藤岡市
生年月日 (1981-03-28) 1981年3月28日(43歳)
身長
体重
177 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
初出場 NPB/2002年5月10日
CPBL/2004年3月8日
最終出場 NPB/2002年5月15日
CPBL/2004年4月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石川 雅実(いしかわ まさみ、1981年3月28日 - )は、群馬県多野郡鬼石町(現:藤岡市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴

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現役時代

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藤岡高校時代は全くの無名の存在であった。ストレートは130km台で制球も甘く、高3の夏は県大会ベスト8。

高校卒業後JR東日本に入社。JR東日本硬式野球部の中で徐々に頭角を現し、第72回都市対抗野球大会に出場。140km台にアップしたストレートで打者を翻弄するピッチングがプロのスカウトの注目を浴びた[1]

2001年のドラフト4巡目で読売ジャイアンツに入団。即戦力として期待され、背番号は前年まで高橋尚成がつけていた「36」が用意された。

2002年は期待通り開幕早々の5月10日にルーキーとして最も早く1軍登録されると、その日の試合で登板、1回を投げ2失点と今ひとつの内容に終わった。

2003年、球団から戦力外通告を受ける。

2004年には台湾プロ野球統一ライオンズに入団したが、3試合のみの登板に終わり1年で契約解除となった。

引退後

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引退後は福岡で自営業を営む兄を頼って九州へと移り、熊本青果店店長をしていた。引退後に結婚して子供にも恵まれたが2016年、熊本地震に被災し石川の務める店舗も大きな影響を受けた[2]

石川の妻が東京へ転勤となり、しばらくは単身赴任という形で熊本に残ったが、社会人野球時代の伝手でグループ会社であるJR東日本環境アクセスに就職し東京に戻って再度家族と暮らす。同社では本社の総務部総務課に配属され、社長秘書業務に携わった[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2002 巨人 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 3 0 1 0 0 3 0 0 2 2 9.00 2.00
2004 統一 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 38 8.0 7 2 6 0 1 7 2 0 7 7 7.88 1.63
NPB:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 3 0 1 0 0 3 0 0 2 2 9.00 2.00
CPBL:1年 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 38 8.0 7 2 6 0 1 7 2 0 7 7 7.88 1.63

記録

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NPB

背番号

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  • 36 (2002年 - 2004年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、41ページ
  2. ^ a b 相澤洋美 (2020年2月28日). “元プロ野球選手が総務部の要に。 戦力外通告から15年ぶりにつかんだ、人生の「白星」”. 文春オンライン. JR東日本環境アクセスのプロフェッショナルたち #11. 2021年7月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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