石橋町
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いしばしまち 石橋町 | |||||
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廃止日 | 2006年1月10日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 石橋町、南河内町、国分寺町→下野市 | ||||
現在の自治体 | 下野市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 栃木県 | ||||
郡 | 下都賀郡 | ||||
市町村コード | 09362-9 | ||||
面積 | 22.43 km2 | ||||
総人口 |
20,573人 (推計人口、2006年1月1日) | ||||
隣接自治体 | 宇都宮市・壬生町・国分寺町・上三川町・南河内町 | ||||
町の木 | モクセイ | ||||
町の花 | スミレ | ||||
石橋町役場 | |||||
所在地 |
〒329-0594 栃木県下都賀郡石橋町石橋552-4 | ||||
座標 | 北緯36度26分12秒 東経139度51分42秒 / 北緯36.43675度 東経139.86156度座標: 北緯36度26分12秒 東経139度51分42秒 / 北緯36.43675度 東経139.86156度 | ||||
ウィキプロジェクト |
石橋町[1](いしばしまち)は、栃木県下都賀郡に属していた町である。宇都宮市への通勤率は19.2%(平成17年国勢調査)。日光街道の宿場町であった。
下都賀郡の自治体ではあったが、小山市や栃木市などよりも宇都宮市との結びつきが強かった。
2006年1月10日、隣接する国分寺町、河内郡南河内町と新設合併して下野市となり、廃止された。
地理
[編集]町の南北を姿川が流れる。
歴史
[編集]江戸時代、日光街道の宿場町として栄えた。石橋宿は代官山内氏の支配所だった[1]。明治時代、廃藩置県により日光県〜栃木県となり、仮の県庁が置かれたこともある。明治期以降、周辺農村の中心地として栄えた。
近年は、消防署や警察署等が設置され、広域行政の中心地としての役割も担っていた。
沿革
[編集]- 1889年4月1日 - 旧石橋宿や周囲の村の合併により姿村(すがたむら)が成立。
- 1891年9月15日 - 姿村から旧石橋宿地域などが分離し、石橋町成立。
- 1947年9月5日 - 昭和天皇の戦後巡幸。石橋小学校校庭に設営した会場で干瓢の製造工程などを視察[2]。
- 1954年11月3日 - 姿村と石橋町が合併し、新しい石橋町となる。
- 1991年1月1日 - 下都賀郡国分寺町と境界変更。
- 2006年1月10日 - 国分寺町、河内郡南河内町と合併し、下野市が発足。
行政
[編集]町長
[編集]- 小林正一郎 1954年12月~1966年12月
- 若松元一 1966年12月~1973年12月
- 高野忠雄 1973年12月~1977年12月
- 若松元一 1977年12月~1994年10月
- 柏崎保 1994年11月~1998年11月
- 新井活也 1998年11月~2006年1月
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
農産物はかんぴょうが有名。北部と南部には工業団地があり、丸大ハム・第一化成等の工場が点在する。『大日本篤農家名鑑』によれば、石橋町の篤農家は「伊澤彌作、伊澤新右衛門、小平重吉、黒川庫太郎、野尻甚作、高橋徳三郎」などがいた[3]。
地域
[編集]教育
[編集]- 栃木県立石橋高等学校
- 石橋町立石橋中学校
- 石橋町立石橋小学校
- 石橋町立石橋北小学校
- 石橋町立古山小学校
- 石橋町立細谷小学校
- 石橋町立図書館
施設
[編集]- 宗教
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 一般国道
- 県道(主要地方道)
バス
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『下野神社沿革誌 巻之4』25 - 26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月20日閲覧。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、443,444頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』399頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月20日閲覧。
- ^ 小平 重吉とはコトバンク。2022年3月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 風山広雄編『下野神社沿革誌 巻之4』風山広雄、1902 - 1903年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。