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神一条教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神一條教
設立 1942年(昭和17年)
設立者 米谷玉水仙(米谷クニ)
種類 宗教法人
本部 日本の旗 日本
大阪府東大阪市三ノ瀬2-3-22
会長 代表者
西義男
ウェブサイト 神一条にようこそ (日本語)
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神一条教(かみいちじょうきょう)は、日本の新宗教。ほんみちの分派である天理三輪講の流れを汲む。教祖、米谷クニ(玉水仙)は天理教の教師であったが、1935年昭和10年)に天理教を離れ、天理三輪講に入信するも1941年(昭和16年)に教団解散、1942年(昭和17年)に大阪府布施市の自宅で「神一条打明場所」を開く。1946年(昭和21年)に大自然神一条教と改称し、1952年(昭和27年)、宗教法人認可を受けた際に現名称となる。

概要

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「神一条」とは天理教の教義上の概念で、神の教えに触れて人生観が転回することをいう[1]。創始者の米谷玉水仙1889年明治22年)8月に京都市上京区の豪商であった浅野家の二女として生まれた。玉水仙は米谷庄太郎と結婚し1920年大正9年)に大阪に移るが、二男・三男・四男を相次いで病気で失ったことから1925年(大正14年)に天理教に入信。天理教で修行を積んだのちに、同教の分派である勝ヒサノ天理三輪講に移り、1942年(昭和17年)に神一條教(神一条教)を創始した。[2]

1974年(昭和49年)に玉水仙が没し、教団は玉水仙の長男の妻である米谷千恵子が継承した。1985年(昭和60年)、千恵子没。[2]現在の代表者は西義男

教義

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教義としては天理三輪講の教義を継承し、仏教キリスト教、天理教をひとつのものとしてとらえる独特の教義を持つ。感謝祭などの祭礼にも天理教の祭礼と同様の内容がみられる[2]

火・水・風の三元神が信仰の対象であり、「火と水とが一の神、風より外に神はないぞや」という原則を信ずることで天の守護を得られるとしている[2]

脚注

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  1. ^ 「天理教見聞記(4)」1930年5月23日読売新聞朝刊4面 2016年4月10日ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b c d (新宗教研究会 1999)

参考文献

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  • 新宗教研究会『改訂最新版 新宗教ガイドブック』ベストブック、1999年。