神内靖
DeNA時代 (2013年4月7日、明治神宮野球場にて) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府綾部市 |
生年月日 | 1983年8月12日(41歳) |
身長 体重 |
176 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2004年7月25日 |
最終出場 | 2013年6月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、京都府綾部市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]延岡学園高等学校では第82回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦(2回戦)で山田憲、中村一生がいる東海大浦安と対戦し、自身の暴投と中村の適時打を浴び、2-1で敗れた[2]。宮崎県内では「右の寺原、左の神内」と呼ばれるほどの評判の投手で、互いにライバル関係を築いていた。寺原はその後、第83回全国高等学校野球選手権大会で注目を浴びた後に4球団から1巡目指名を受け、2001年度ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスへ入団しているが、神内も同ドラフトにて同じく福岡ダイエーホークスから、4巡目で指名を受けて入団した[1]。背番号は38。
ダイエー・ソフトバンク時代
[編集]プロ入り後すぐに結果を残した寺原とは対照的に、神内は高校時代から課題である制球難によってウエスタン・リーグでも十分な成績を残せなかった。2004年7月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)でプロ初先発を果たし、勝利投手にはなれなかったものの7回無失点と上々の結果を残した。この活躍が認められ、この年は12試合に登板した。
2005年4月2日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で中継ぎでプロ初勝利を果たすと、手薄だった左の中継ぎとして一軍に定着し、前年より倍以上の46試合に登板、防御率3.26・17ホールドと好成績を残した。
2006年からはさらなる活躍を目指すために大幅な肉体改造を行ったが、これによって体重が10kg増加すると同時に球速も10km/h近く速くなった。同年5月18日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で初先発勝利を果たすと何度か先発を任され、自己最多となる6勝を挙げた。特にチームが苦手としていた対北海道日本ハムファイターズ戦では6試合で2勝・防御率1.10を記録するなど、幾度となくチームの危機を救ったが、後半に入ると6連戦がほとんど無い緩い日程だったためにコマ不足が解消され、登板機会は多くなかった。6月18日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、先発して6回途中まで11個の三振を奪ったが、神内の後を三瀬幸司・吉武真太郎・篠原貴行・藤岡好明・馬原孝浩のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は史上初)となる19奪三振を記録した。
しかし、度重なる連投などから肘への負担が増していき、2008年3月25日に群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を行った。このリハビリのため、この年の一軍登板はなかった。
2009年4月5日の対オリックス・バファローズ戦で、約2年ぶりとなる一軍登板を果たし勝利投手となった。
2010年4月14日の対オリックス戦 (京セラドーム大阪) で、降板した後に自らグラブを投げつけ、ベンチの背もたれを蹴る等乱暴な行為をしたため15日に神内を厳重注意処分としてベンチの破損部分の修理代金7万円を請求した[3]。神内は「自分のピッチングの不甲斐なさに苛立ちを抑えることができず、ついあのような行為をしてしまい、本当に反省しています」とコメントしている。
2011年は一軍登板が2試合で防御率16.20と自己最低の成績に終わった。ウエスタン・リーグでは31試合に登板して防御率2.94とまずまずな成績を残していたが、一軍昇格は果たせなかった。
2012年は開幕一軍で迎えるも、初登板となった4月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では暴投で失点するなど、結果を残せなかった。一度降格した後に再昇格した後は成績も安定し、この年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤に入ると疲労感から打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に再降格後は一軍昇格がないまま終わった。
DeNA時代
[編集]2012年11月、吉川輝昭・多村仁志と共に山本省吾・江尻慎太郎・吉村裕基との3対3のトレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍。背番号は、ソフトバンク時代と同じ38に決まった。
2013年は序盤から中継ぎとして一軍に帯同。6月3日の対日本ハム戦では3年ぶりに先発登板するも、4回5失点、四死球4、被安打7と安定せず敗戦投手となり、二軍落ち以降は終盤まで一軍での登板がなかった。
2014年10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]。12月2日に自由契約公示された[5]。
引退後
[編集]2015年には福岡市内の小中学生を中心に野球教室を開催した[6]。
選手としての特徴
[編集]威力のある直球と縦に割れるカーブ[7]、「魔球」と称されるチェンジアップが武器の左腕[8]。その他、スライダーも投げる[9]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2004 | ダイエー ソフトバンク |
12 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 111 | 24.2 | 26 | 5 | 11 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 16 | 16 | 5.84 | 1.50 |
2005 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 14 | .750 | 226 | 49.2 | 46 | 3 | 25 | 0 | 7 | 48 | 3 | 1 | 19 | 18 | 3.26 | 1.43 | |
2006 | 26 | 13 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 1 | .667 | 360 | 86.2 | 84 | 7 | 28 | 1 | 0 | 89 | 4 | 0 | 33 | 31 | 3.22 | 1.29 | |
2007 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 146 | 34.0 | 31 | 5 | 14 | 0 | 1 | 27 | 3 | 1 | 19 | 18 | 4.76 | 1.32 | |
2009 | 26 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 3 | .400 | 152 | 34.2 | 26 | 4 | 22 | 0 | 2 | 33 | 4 | 1 | 18 | 15 | 3.89 | 1.38 | |
2010 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 75 | 16.2 | 18 | 3 | 6 | 0 | 1 | 17 | 3 | 1 | 13 | 13 | 7.02 | 1.45 | |
2011 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 3 | 16.20 | 2.50 | |
2012 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | ---- | 101 | 24.2 | 22 | 3 | 4 | 0 | 1 | 24 | 2 | 0 | 15 | 15 | 5.47 | 1.05 | |
2013 | DeNA | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 49 | 10.0 | 10 | 2 | 9 | 0 | 1 | 8 | 1 | 0 | 9 | 9 | 8.10 | 1.90 |
通算:8年 | 155 | 26 | 0 | 0 | 0 | 12 | 12 | 0 | 23 | .500 | 1229 | 282.2 | 267 | 33 | 119 | 1 | 13 | 271 | 22 | 4 | 145 | 138 | 4.39 | 1.37 |
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
[編集]- 初登板・初先発:2004年7月25日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(福岡ドーム)、7回無失点
- 初奪三振:同上、1回表に堀幸一から空振り三振
- 初ホールド:2005年3月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回表1死に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初勝利:2005年4月2日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏1死から3番手で救援登板、1回無失点
- 初先発勝利:2006年5月18日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、6回1/3を2失点
背番号
[編集]- 38 (2002年 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、161ページ
- ^ 小野塚康之 (2021年5月14日). “【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(12)千葉 東海大浦安・浜名翔、背番号「4」のエースが見せた“えげつない”シュート(3/4ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年8月9日閲覧。
- ^ ベンチ破壊神内にオリックスが弁償請求へ日刊スポーツ 2010年4月15日掲載
- ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ 『神内教室』開校!!ブルペンズやきゅうスクール 2022年7月15日閲覧
- ^ 小野塚康之 (2021年5月14日). “【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(12)千葉 東海大浦安・浜名翔、背番号「4」のエースが見せた“えげつない”シュート(2/4ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2024年2月14日閲覧。
- ^ “「DeNA・神内が魔球でGキラーに」デイリースポーツ 2013年2月4日”. 2024年2月15閲覧。
- ^ “【DeNA】神内が3回を無失点 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. 2024年2月14日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 神内靖 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube