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神農本草経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神農本草経』(繁体字: 神農本草經; 簡体字: 神农本草经; 繁体字: 神農本草經; 拼音: Shén nóng běn cǎo jīng; ウェード式: Shennung Ben Ts'ao King しんのうほんぞうきょう[1][2][3]、しんのうほんぞうけい[2][3] または しんのうほんぞうぎょう[要出典])は、後漢から三国の頃に成立した中国本草書である[注釈 1]

概要

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『神農本草経』は神農氏の後人の作とされるが、実際の撰者は不詳である。個々の生薬(漢方薬)について解説したもの。中国最古の薬物学書であるとされる[5]。1年の日数と同じ365種の薬物を上品・中品・下品(上薬・中薬・下薬ともいう)の三品に分類して記述している。上品(120種)は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品(120種)は毒にもなり得る養性薬、下品(125種)は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている[3][6]。上品には人参薏苡仁甘草など、中品には葛根紫根貝母など、下品には連翹附子半夏などが含まれる[7]

500年永元2年)、南朝陶弘景は本書を底本に『神農本草経注』3巻を撰し、さらに『本草経集注』7巻を撰した。陶弘景は内容を730種余りの薬物に増広(ぞうこう)している。

こうして中国正統の本草書の位置を占めるようになったが、長年の戦乱によって散逸し、現在見ることができるのは敦煌写本の残巻や『太平御覧』への引用などにすぎない。

陶弘景の増補版などに基づいてその復元を図ったものとしては、代の盧復朝の孫星衍、日本の森立之によるものなどがある。

注釈

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  1. ^ 紀元5年ころという説もある[4]

脚注

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  1. ^ 長濱善夫『東洋医学概説』創元社〈東洋医学選書〉、1961年、38頁。ISBN 4-422-41301-5 
  2. ^ a b 日本東洋医学会学術教育委員会『入門漢方医学』南江堂、2002年12月、9頁。ISBN 4-5242-3571-X 
  3. ^ a b c 薬学用語解説:神農本草経”. 日本薬学会 (2007年10月11日). 2010年8月20日閲覧。
  4. ^ 山田慶児『中国医学の思想的風土』潮出版社、1923年、42頁。 
  5. ^ 小曽戸洋『新版 漢方の歴史――中国・日本の伝統医学――』大修館書店〈あじあブックス076〉(原著2018年10月1日)、43頁。ISBN 9784469233162 
  6. ^ 大塚敬節『漢方医学』(第3版)創元社〈創元医学新書〉、1990年2月1日(原著1956年7月25日)、38-39頁。ISBN 4-422-41110-1 
  7. ^ 身近な生活にある薬用植物 中国最古の薬物書『神農本草経』内藤記念くすり博物館

外部リンク

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