禱苗代
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禱 苗代(祷 苗代、いのり しげしろ、1876年(明治9年)12月12日[1] - 1927年(昭和2年)5月13日[2][3])は、明治から昭和初期の教育者・弁護士・政治家。衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。
経歴
[編集]鹿児島県大島郡赤尾木村[4](龍郷村[5]を経て現龍郷町)で、禱朝衡、みよ の長男として生まれた[6]。沖縄師範学校を卒業し[4][5]、1898年(明治31年)、沖縄県国頭小学校校長となり、1905年(明治38年)には東京市東陽小学校校長に就任した[2][7]。その後、日本大学に入り、1909年(明治42年)に卒業した[2][6]。同年、司法官試補となったが、翌年に退官し、東京で弁護士を開業した[2][5][7]。
帰郷して1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙(鹿児島県第8区、立憲政友会公認)で当選[5][8]。1924年(大正13年)5月の第15回総選挙(鹿児島県第8区、政友本党公認)でも再選され[9]、最後は新党倶楽部に所属し衆議院議員に連続2期在任した[2][5]。この間、黒糖消費税の減税、小学校教員給与の国庫補助実現などに尽力した[5]。1927年5月、議員在任中に死去した[3][5]。墓所は多磨霊園。
その他、福徳銀行監査役を務めた[6]。
2005年(平成17年)、龍郷町の5人目の名誉町民となる[10]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、35頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』75頁。
- ^ a b 『官報』第112号、昭和2年5月17日
- ^ a b 『鹿児島県姓氏家系大辞典』332頁。
- ^ a b c d e f g 『郷土人系 上』114頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』い133頁。
- ^ a b 『東京弁護士名家録 第一巻』2-3頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』31頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』35頁。
- ^ “名誉町民05禱苗代”. 鹿児島県龍郷町 (2019年8月13日). 2020年9月10日閲覧。