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禱苗代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
禱苗代

禱 苗代(祷 苗代、いのり しげしろ、1876年明治9年)12月12日[1] - 1927年昭和2年)5月13日[2][3])は、明治から昭和初期の教育者弁護士政治家衆議院議員立憲政友会政友本党)。

経歴

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鹿児島県大島郡赤尾木村[4](龍郷村[5]を経て現龍郷町)で、禱朝衡、みよ の長男として生まれた[6]沖縄師範学校を卒業し[4][5]1898年(明治31年)、沖縄県国頭小学校校長となり、1905年(明治38年)には東京市東陽小学校校長に就任した[2][7]。その後、日本大学に入り、1909年(明治42年)に卒業した[2][6]。同年、司法官試補となったが、翌年に退官し、東京で弁護士を開業した[2][5][7]

帰郷して1920年大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙(鹿児島県第8区、立憲政友会公認)で当選[5][8]1924年(大正13年)5月の第15回総選挙(鹿児島県第8区、政友本党公認)でも再選され[9]、最後は新党倶楽部に所属し衆議院議員に連続2期在任した[2][5]。この間、黒糖消費税の減税、小学校教員給与の国庫補助実現などに尽力した[5]。1927年5月、議員在任中に死去した[3][5]。墓所は多磨霊園

その他、福徳銀行監査役を務めた[6]

2005年平成17年)、龍郷町の5人目の名誉町民となる[10]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、35頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』75頁。
  3. ^ a b 『官報』第112号、昭和2年5月17日
  4. ^ a b 『鹿児島県姓氏家系大辞典』332頁。
  5. ^ a b c d e f g 『郷土人系 上』114頁。
  6. ^ a b c 『人事興信録 第7版』い133頁。
  7. ^ a b 『東京弁護士名家録 第一巻』2-3頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』31頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』35頁。
  10. ^ 名誉町民05禱苗代”. 鹿児島県龍郷町 (2019年8月13日). 2020年9月10日閲覧。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 佐藤幸平『東京弁護士名家録 第一巻』日本法曹要覧発行所、1925年。 
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。