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福井淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福井 淳(ふくい きよし、1898年2月1日 - 1955年5月3日)は、日本の外交官。元南西方面海軍民政府司政長官

来歴

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神奈川県生まれ。1923年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒[1]

1921年高等文官試験外交科試験合格、1922年高等試験外交科試験合格、1923年外務省入省。在中華民国日本大使館二等書記官南京領事ラングーン総領事大日本帝国海軍司政官等を経て、1944年南西方面海軍民政府司政長官、同年外務省調査官[1]

妻は男爵であった前島弥の娘。男爵前島勘一郎は義兄[1]

人物

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1937年日本軍南京入城を受け、南京総領事代理として上海から南京に復帰。南京における日本軍の暴虐行為を外務省本省に報告した。[要出典]

脚注

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  1. ^ a b c 「福井淳」『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会、2002年)[要ページ番号]
先代
山崎巌
南西方面海軍民政府司政長官
1944年
次代
三橋孝一郎