福王寺 (佐久市)
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福王寺 | |
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所在地 | 長野県佐久市協和1054 |
位置 | 北緯36度15分40.10秒 東経138度20分21.40秒 / 北緯36.2611389度 東経138.3392778度座標: 北緯36度15分40.10秒 東経138度20分21.40秒 / 北緯36.2611389度 東経138.3392778度 |
山号 | 雫田山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
正式名 | 雫田山 竹仙院 福王寺 |
札所等 | 佐久三十三観音・三十二番 |
文化財 | 木造阿弥陀如来坐像(国の重要文化財) |
公式サイト | 福王寺ホームページ |
法人番号 | 7100005003320 |
福王寺(ふくおうじ)は、長野県佐久市にある真言宗智山派の寺院。山号は雫田山、院号は竹仙院。
歴史
[編集]寺伝によれば大同2年(807年)、当時この地を治めていた豪族によって創建されたという[1]。延暦20年(801年)、東山道を陸奥国に向かう坂上田村麻呂が通った際、豪族の妻が病に伏していたことから田村麻呂に同道していた僧侶が薬を与えたり祈祷をするなどしたものの亡くなった。それを知った田村麻呂は墓を造りその場所から見て一番良い場所に寺を造るように言い残して旅立ったことから、現在の場所に寺が建立されて福王寺と名づけられた[1]。
鎌倉時代になると望月氏の庇護を受け、本尊阿弥陀如来坐像が造立されて信仰を集めたが、江戸時代初期の寛永年間(1624年 - 1645年)に発生した山火事によって阿弥陀如来坐像と日光菩薩・月光菩薩、毘沙門天、雨宝童子など僅かを除いて全山を焼失。古文書などの記録や寺宝の多くが失われたものの、宝永6年(1709年)までには現在も残る本堂や仁王門などが再建された[1]。
1975年(昭和50年)収蔵庫が建てられ、それまで阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀如来坐像はこちらに移されたほか、1992年(平成4年)には観音堂が建立されている[1]。また、境内には樹齢300年以上とされるシダレザクラがあり、現在では桜の名所としても広く知られている[2]。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 木造阿弥陀如来坐像
- 像高138.8センチ、桂材の一木造[3]。胎内銘によれば建仁3年(1203年)に幸筌という僧が堂を建立、如来像を造立したとされる[4]。同じく銘によれば建長2年(1250年)、暦応3年(1340年)、元禄9年(1696年)に補修などが行われた[5]。1914年(大正3年)に当時の古社寺保存法に基づき国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定された。[6][7]
その他の文化財
[編集]- 絹本着色愛染明王像(愛染明王)
- 2014年佐久市有形文化財に、2015年には長野県宝に指定されている。
脚注
[編集]- ^ a b c d “福王寺の縁起”. 福王寺 (2008年10月9日). 2014年2月16日閲覧。
- ^ “福王寺”. さわやか信州旅.net. 2014年2月16日閲覧。
- ^ 毎日新聞社編『仏像めぐりの旅 6 信越・北陸』(毎日新聞社、1995)、pp.69 - 70
- ^ “福王寺の木造阿弥陀如来坐像” (PDF). 佐久市文化財課 (2015年4月16日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “阿弥陀如来坐像”. 福王寺 (2008年10月9日). 2014年2月17日閲覧。
- ^ 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)、毎日新聞社、2000
- ^ 佐久市文化財課のサイトに「大正3年に国宝に指定、昭和25年に重要文化財に再指定」とあるのは誤り。「再指定」ではなく、文化財保護法の施行に伴い、旧法による国宝の指定を文化財保護法による重要文化財の指定とみなしたもの(同法附則第3条第1項)。
- ^ “指定文化財一覧”. 佐久市文化財課 (2015年4月16日). 2015年7月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 『探訪 信州の古寺 天台宗・真言宗』1996年 郷土出版社