秋の坊
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秋の坊(あきのぼう、生年不詳 - 享保3年1月4日(1718年2月3日))は、江戸時代の松尾芭蕉の門人である俳人。
人物
[編集]別号は寂玄[1]。加賀国出身で、加賀藩士であったが、志を得ず隠退して出家し、日蓮宗蓮昌寺境内に秋日庵を結んで住んでいた。元禄2年(1689年)、おくのほそ道の旅で芭蕉が金沢に立ち寄った際に入門した。
極めて貧しく、友人に乞うて食していた。ある時、炭が無くて困った時、「寒ければ山より下を飛ぶ雁に物打になふ人ぞ恋しき」と、「炭」の字を隠した歌を贈って炭を乞うた[2]。またある時、友人に早生米を求めて、その来る日に早生米の粥を食させるとして客を招いたが、米が来ず、主人客ともに困ったという話など奇行が多かった。
享保3年(1718年)正月4日、辞世に「正月四日よろづ此の世を去るによし」と言い、瞑目したという。蓮昌寺の過去帳によればこの死亡年月日に誤りはないという。墓は蓮昌寺境内にある[3]。ただし、この句は、百花『布ゆかた』という俳書(正徳2年9月)には、岩田涼菟による諷竹追善句として載るものである[4]。
代表句
[編集]- 凍てつけば凍てつきながら笹の風
- 夕ぐれや浮世の空の凧
- 灯火の口のわれたるさむさ哉
- 鳥の巣に三月盡のあらし哉
- 松の葉をすゝりまぜけり心太[5]
出典
[編集]参考文献
[編集]- 籾山鈞『俳諧名家列伝』博文館,1893
- 武谷糺之編『俳家百哲名句と逸話』泰山堂書房,1925
- 桂井末翁「秋の坊の辭世句に就て」木太刀 26(8) P11,1928-08
- 石川県『石川県史 第3編』石川県図書館協会,1974