秋沢芳馬
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秋沢 芳馬(あきざわ よしま、1869年12月31日(明治2年11月29日) - 1971年(昭和46年)7月20日)は、日本の海軍軍人。海軍少将従四位功三級。
経歴
[編集]高知県出身。1891年(明治24年)7月、海軍兵学校18期を卒業。「比叡」「八重山」「愛宕」の各乗組員となり、1894年(明治27年)3月、海軍少尉に任官。「厳島」分隊士、横須賀鎮守府海兵団分隊士、砲術練習所学生を経て、日清戦争時は「橋立」分隊士として出征。1897年(明治30年)12月に海軍大尉に進級し、「高雄」分隊長、「千代田」砲術長、海兵砲術教官、「筑波」分隊長、「金剛」「千歳」の各砲術長を歴任し、1903年(明治36年)9月、海軍少佐に進級した。
日露戦争時は「千歳」砲術長として出征。日本海海戦には「八雲」砲術長として参加した。その後、「朝日」砲術長、東宮武官となり、1907年(明治40年)9月、海軍中佐に進級し、「生駒」副長、横須賀海兵団団長、「最上」副長、「新高」艦長などを経て、1913年(大正2年)12月、海軍大佐に進級した。
呉海兵団団長、「丹後」艦長、台湾総督府海軍参謀長を経て、1916年(大正5年)12月、「伊勢」艤装員長を任ぜられ、翌年の竣工と共に初代艦長に着任した。
1918年(大正7年)12月、海軍少将に進級と同時に待命となり、1919年(大正8年)8月、予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。1971年(昭和46年)7月、101歳で死去。
脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。
参考文献
[編集]- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。