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稲沢市立大里西小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲沢市立大里西小学校
地図北緯35度13分30.5秒 東経136度48分27.9秒 / 北緯35.225139度 東経136.807750度 / 35.225139; 136.807750座標: 北緯35度13分30.5秒 東経136度48分27.9秒 / 北緯35.225139度 東経136.807750度 / 35.225139; 136.807750
過去の名称 大里村立大里西小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 稲沢市
設立年月日 1953年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210007131 ウィキデータを編集
所在地 492-8246
愛知県稲沢市奥田計用町107
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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稲沢市立大里西小学校(いなざわしりつおおさとにししょうがっこう)は、愛知県稲沢市奥田計用町にある公立小学校

概要

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  • 旧・中島郡大里村の小学校であり、1955年までの校名は大里村立大里西小学校であった。

沿革

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大里村の学校は5つの学校に分かれていたが、1907年に西大里尋常小学校、東大里尋常小学校、大里尋常小学校に統廃合され、1908年に再統合により大里尋常小学校となり、東分教場と西分教場が設置された。大里西小学校はこの大里尋常高等小学校西分教場を前身とする。大里尋常小学校は幾つかの改称を経て大里村立大里小学校となり、1953年に分離し、西分教場が大里西小学校、東分教場が大里東小学校となっている。大里小学校を引き継いだのは大里東小学校である[1]。1953年以前の沿革は稲沢市立大里東小学校#沿革を参照。

  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 大里村立大里小学校が分離し、大里小学校西分教場が大里村立大里西小学校、大里小学校東分教場が大里村立大里東小学校となる。大里小学校の校舎は大里中学校の校舎の一部に転用する。
  • 1955年(昭和30年)4月15日 - 稲沢町、明治村千代田村大里村が合併し、改めて稲沢町が発足。同時に稲沢町立大里西小学校に改称する。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 市制施行し、稲沢市となる。同時に稲沢市立大里西小学校に改称する。
  • 1959年(昭和34年)9月22日 - 新校舎(南舎・鉄筋コンクリート造)が完成する。
  • 1966年(昭和41年)2月23日 - 体育館が完成する。
  • 1970年(昭和45年)9月22日 - 校舎(北舎・鉄筋コンクリート造)が完成する。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 稲沢市立大塚小学校を分離する。
  • 1974年(昭和49年)7月15日 - プールが完成する。
  • 1982年(昭和57年)3月30日 - 管理棟が完成する。

通学区域

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  • 奥田町(名鉄名古屋本線以東、上一条、下一条、下二条、四反地、六畝六歩、八反田、北魚取場、南魚取場を除く)、奥田長角町、奥田大門町、奥田堀畑町、奥田宮長町、奥田馬場町、奥田中切町、奥田北花ノ木町、奥田南花ノ木町、奥田天神町、奥田計用町、奥田寺切町、奥田立長町、奥田切田町、奥田田畑町、奥田木塚町、奥田下河町、奥田天目寺町(一部)、奥田白山町(一部)、奥田神ノ木町(一部)、北島町(一部)、北島1-9丁目、七ツ寺町、堀田町、中之庄町、中之庄堤畔町、中之庄海道町、中之庄元屋敷町、中之庄長堤町、中之庄半田町、中之庄高畑町、高重町、高重東町、高重西町、高重中町、増田町、増田西町、増田南町、増田北町、増田東町(名古屋本線以東を除く)、日下部松野町1・2丁目、大矢町(一部)[2]

進学先中学校

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交通アクセス

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参考文献

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  • 新学制40周年記念誌 伸びゆく学校 (中島地方教育事務協議会・中島地方小中学校長会 新学制40周年記念誌伸びゆく学校編集委員会 1988年) P.74 - 77

脚注

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  1. ^ 新学制40周年記念誌伸びゆく学校P.76。
  2. ^ 学校別学通学区域(小学校)稲沢市

注釈

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関連項目

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外部リンク

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