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稲瀬村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いなせむら
稲瀬村
極楽寺
廃止日 1955年2月10日
廃止理由 新設合併
稲瀬村岩谷堂町伊手村愛宕村田原村玉里村広瀬村藤里村梁川村米里村江刺町
現在の自治体 奥州市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
江刺郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 39.92 km2
総人口 6,563
(『岩手県町村合併誌』、1954年12月)
隣接自治体 江刺郡岩谷堂町広瀬村愛宕村
胆沢郡金ケ崎町
北上市
稲瀬村役場
所在地 岩手県江刺郡稲瀬村照沢字下台16
座標 北緯39度12分54秒 東経141度09分26秒 / 北緯39.21508度 東経141.15714度 / 39.21508; 141.15714座標: 北緯39度12分54秒 東経141度09分26秒 / 北緯39.21508度 東経141.15714度 / 39.21508; 141.15714
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稲瀬村(いなせむら)は、1955年昭和30年)まで岩手県江刺郡にあった村。現在の奥州市江刺稲瀬および北上市稲瀬町にあたる。

沿革

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  • 1875年明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、上門岡村・下門岡村・石関村・二関村・三関村が合併して稲瀬村に、三照村と倉沢村が合併して照沢村になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、稲瀬村の一部(二関・三関は広瀬村へ編入)と照沢村が合併して新制の稲瀬村が発足。
  • 1947年(昭和22年) - 昭和天皇の戦後巡幸の際、伝統の「鹿踊り」の天覧が計画されるも水害のために中止。同年8月10日、盛岡市に有志が出向き踊衣で奉迎を行う[1]
  • 1955年昭和30年)

行政

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 菊池直三郎 1889年(明治22年)5月16日 1890年(明治23年)2月19日
2〜6 菊池伝寿郎 1890年(明治23年)2月20日 1904年(明治37年)12月17日
7 菊池邦治郎 1904年(明治37年)12月18日 1908年(明治41年)12月17日
8〜11 岩淵義源太 1908年(明治41年)12月18日 1921年(大正10年)2月3日
12〜15 高橋幸作 1921年(大正10年)2月4日 1937年(昭和12年)2月3日
16〜18 及川貞治 1937年(昭和12年)2月4日 1946年(昭和21年)11月26日
19〜20 高橋市朗 1947年(昭和22年)4月5日 1955年(昭和30年)2月9日

脚注

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  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、402頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

参考文献

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  • 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)

関連項目

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