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長沼 (長野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
穂保から転送)
長沼
ながぬま
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
自治体 長野市
旧自治体 長沼村
面積
6.17km²
総人口
1,937
住民基本台帳、2023年3月1日現在)
人口密度
313.94人/km²
隣接地区 古里地区柳原地区豊野地域
長野市役所長沼支所
長野市役所長沼支所
北緯36度41分13秒 東経138度16分28.5秒 / 北緯36.68694度 東経138.274583度 / 36.68694; 138.274583座標: 北緯36度41分13秒 東経138度16分28.5秒 / 北緯36.68694度 東経138.274583度 / 36.68694; 138.274583
所在地 〒381-0003
長野県長野市大字穂保941
リンク 長沼支所公式ページ
長沼の位置(長野県内)
長沼
長沼
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長沼(ながぬま)は、長野県長野市北東部の地区。本項では、かつて概ね同地域に所在した上水内郡長沼村(ながぬまむら)についても述べる。

「長沼」の由来は千曲川の流路にできた沼の形によると伝えられているが、1889年明治22年)の合併の際、長沼の「長」の字と赤沼の「沼」で長沼村となった。中世から近世初めに長沼城が存在していたことも、村名を称するにあたって影響を与えたと考えられる[1]

人口

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地域内の人口(長野市役所長沼支所管内)は786世帯 1,937人(令和5年3月1日時点)[2]

以下の1874年1995年は『長野市誌 第8巻』[3]に、2000年~は住民基本台帳の各年1月1日時点のデータ[2]に基づく。

長沼地区は千曲川堤防が完成した昭和初期までは、3,4年に1回の割合で洪水に見舞われていた。地区の人々は水の恩恵と水の災害を受けながら、水を治め、産業の振興に取り組んできている。長沼地区の人口が一番多かった時期は第二次大戦後、1945年~10年間に見られる3200人台である。これは復員や疎開人口による増加であり、県下共通の傾向である。1965年~の10年間には明治末期以下に人口が減り、長野市街周辺平坦地域の中では唯一の人口減少地域となっている。1968年、穂保・大町に工場が進出し、更に1971,2年から赤沼ニュータウン・大町に宅地が造成された為、1980年以降はやや人口が増加しているが、微増にとどまった[2]

それ以後、1990年頃をピークに人口は減少に転じていくが、それに追い打ちをかけたのが令和元年東日本台風である。被災により人口は大幅に低下し[4]、近年ではついに2000人を割り、明治以降最低の水準になっている。こうした中、長野市は人口減少対策のため、移住に補助金を出すなどして地域の維持を図ろうとしている[5]

1950年(昭和25年) 3,210人
1960年(昭和35年) 2,988人
1970年(昭和45年) 2,692人
1980年(昭和55年) 2,923人
1990年(平成2年) 3,039人
2000年(平成12年) 2,653人
2010年(平成22年) 2,502人
2020年(令和2年) 2,181人
長野市

地理

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千曲川に沿った南北に長い地区である。地区東端に千曲川、北西端に浅川が流れる。地区の北西を北陸新幹線が走り、赤沼地籍に長野新幹線車両センターが置かれている。地区の中央部には国道18号アップルライン)が南北に走り、その東側に北国街道松代道にあたる長野県道368号村山豊野停車場線が走っている。

古くは長沼城城下町として栄えたが、1688年元禄元年)に長沼藩が取り潰されてからは、北国街道松代道の宿場町として栄えた。現在でも旧長沼宿のあった県道沿いに集落が形成されている。

それ以外の区域はほぼ農地で占められ、りんごなどの生産地となっている。この地域でのりんご栽培は明治末期に始まったといい、赤沼区公会堂(大字赤沼)には「信州りんご発祥の碑」がある[6]。国道18号アップルライン沿いにはりんご直売所が立ち並ぶほか、ロードサイド店が点在する。

川と川の間にある低地であり、石垣や半二階建てといった水害対策を講じた家々が見られる。千曲川はすぐ下流の立ヶ花で急に川幅が狭くなっており(立ヶ花狭窄部)、当地にしばしば水害をもたらす要因となっている[7]

周囲は以下の地域・地区[8]と接する。

河川

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歴史

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ながぬまむら
長沼村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 編入合併
長野市、古里村柳原村浅川村大豆島村朝陽村若槻村長沼村安茂里村小田切村芋井村長野市
現在の自治体 長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
上水内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,210
国勢調査1950年
隣接自治体 上水内郡古里村、柳原村
上高井郡須坂町小布施町
長沼村役場
所在地 長野県上水内郡長沼村
座標 北緯36度41分12.9秒 東経138度16分29.1秒 / 北緯36.686917度 東経138.274750度 / 36.686917; 138.274750 (長沼村)
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前身各村〜長沼村の歴史
  • 室町時代 - 穂保に信濃島津氏長沼城を築く。
  • 1615年元和元年) - 佐久間勝之が長沼城に入城。長沼藩藩祖となる。
  • 1688年貞享5年) - 長沼藩廃藩。水内郡栗田町(栗田村)・上町六地蔵町内町赤沼村赤沼河原新田村津野村幕府領となる。
  • 1873年明治6年) - 水内郡赤沼河原新田村が赤沼村に合併。
  • 1874年(明治7年)
    • 4月 - 第六大学区第十四中学区第六十九番学区赤沼学校(長野市立長沼小学校の前身)が開校。1886年(明治19年)に長沼学校赤沼支校となったのち、1894年(明治27年)廃校
    • 6月 - 第六大学区第十四中学区第七十番小学長沼学校(長野市立長沼小学校の前身)が開校。
  • 1876年(明治9年)5月30日 - 水内郡栗田町・上町が合併して長沼大町、六地蔵町・内町が合併して長沼穂保町となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、各村が上水内郡の所属となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡長沼大町・長沼穂保町・津野村・赤沼村の区域をもって長沼村が発足。
  • 1947年昭和22年) - 新学制により、長沼村立長沼小学校・長沼中学校が開校。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 長沼村が長野市に編入。同日長沼村廃止。大字大町大字穂保大字津野大字赤沼となる。
長野市長沼地区の歴史

大字

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赤沼

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赤沼(あかぬま)は、長沼地域北部の地区(大字)。郵便番号は、381-0001

地区西部から北部にかけて浅川が流れ、旧豊野町地域との境をなす。その東側に北陸新幹線が走り、地区内に長野新幹線車両センターが置かれている。東部には千曲川が流れるが、河川敷部分は上高井郡小布施町の町域となっている。地区中央部には長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)が南北に、国道18号アップルライン)が南西から北西にかけて走り、地区のほぼ中央で交差する。

周囲は以下の大字と接する。

集落は旧北国街道松代道沿いに形成されているほか、地区北部の浅川沿いに赤沼ニュータウンが拓かれている。地区西部にはりんごなどの果樹園が広がり、アップルライン沿いにりんご直売所やロードサイド店が点在する。

地区内の人口および世帯数は、367世帯 875人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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地区内の長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)を走る、長野市乗合タクシーの以下の路線が利用できる。

なお、地区北部の赤沼ニュータウンでは豊野駅も徒歩圏内である。

施設

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JR長野新幹線車両センター

大町

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大町(おおまち)は、長沼地域南部の地区(大字)。郵便番号は、381-0004

地区東端に千曲川が流れ、須坂市との境をなす。地区中央部には国道18号アップルライン)が南北に走り、その東側に長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)が並走する。地区東部は北方に向けて長く飛び出した部分があり、この部分の西端に浅川が流れる。

周囲は以下の大字と接する。

集落は旧北国街道松代道沿いに形成されており、その中央部の枡形付近には西厳寺など寺院が密集している。アップルライン沿いから地区西部にかけては工業団地となっているほか、農地が多く残る。

地区内の人口および世帯数は、200世帯 529人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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地区内の長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)などを走る、長野市乗合タクシーの以下の路線が利用できる。

施設

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津野

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津野(つの)は、長沼地域北中部の地区(大字)。郵便番号は、381-0002

地区東端に千曲川が流れ、上高井郡小布施町および須坂市との境をなす。地区中央部には国道18号アップルライン)が南北に走り、その東側に長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)が並走する。地区北西を北陸新幹線がかすめる。

周囲は以下の大字と接する。

集落は旧北国街道松代道沿い、地区南端にある枡形を中心に形成されている。その他大部分は農地で占められる。

地区内の人口および世帯数は、59世帯 161人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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地区内の長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)を走る、長野市乗合タクシーの以下の路線が利用できる。

施設

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穂保

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穂保(ほやす)は、長沼地域南中部の地区(大字)。郵便番号は、381-0003

地区東端に千曲川が流れ、須坂市との境をなす。地区中央部には国道18号アップルライン)が南北に走り、その東側に長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)が並走する。

周囲は以下の大字と接する。

集落は旧北国街道松代道沿いに形成されている。その集落の中央部、貞心寺付近には長沼城があり、1688年貞享5年)に廃藩となるまで長沼藩18,000石の中心であった。現在でも地区北東の旧街道沿いに長野市役所長沼支所が置かれ、長沼地区の中心となっている。

国道18号(アップルライン)周辺および地区西部には、工場や運送会社の配送センターなどが立ち並ぶ。また、JAながのの大規模な農産物直売所「アグリながぬま」も立地する。

地区内の人口および世帯数は、160世帯 372人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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地区内の長野県道368号村山豊野停車場線(旧北国街道松代道)を走る、長野市乗合タクシーの以下の路線が利用できる。

施設

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長沼城

防災

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  • 長野市は、約1,000年に1回の大雨(想定し得る最大規模の降雨)を想定した洪水ハザードマップを作成・公開している。その場合、当地域はおおむね全域にわたって10ないし20メートルの高さで浸水すると想定されている[10]。2019年には、令和元年東日本台風(台風19号)の影響で千曲川の堤防が決壊し、町域の広い範囲にわたって浸水した[11]。川から1キロメートル離れたJR長野新幹線車両センターも冠水し、新幹線車両10編成120両が被害を受けている[12]

脚注

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  1. ^ 『ながの市完全読本』NAGANO検定実行委員会、2018年、182頁。 
  2. ^ a b c d e f g 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月24日閲覧。
  3. ^ 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、625,626頁。 
  4. ^ 千曲川決壊現場近くの長野・長沼地区 台風後 人口5・9%減る”. 台風19号 長野県内 豪雨災害. 2023年3月24日閲覧。
  5. ^ 長野市、台風19号被災地への新築、移住に補助金 人口減対策、地域維持図る|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト”. 信濃毎日新聞デジタル. 2023年3月24日閲覧。
  6. ^ 長沼歴史ぐるっと散歩ガイド - 長野市立長沼公民館
  7. ^ 信濃川水系流域及び河川の概要」10-6ページ。
  8. ^ ここでは長野市役所の支所管轄に基づく地区を指す。
  9. ^ a b c d 神社紹介 長野支部”. 長野県神社庁. 2019年9月6日閲覧。
  10. ^ 長野市洪水ハザードマップ”. 長野市 (2019年10月11日). 2019年10月14日閲覧。
  11. ^ 令和元年(2019年)台風19号に関する情報”. 国土地理院. 2019年10月16日閲覧。
  12. ^ “【台風19号】最大浸水10メートル以上の危険性… 水没した新幹線車両基地は“適地”だったか”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2019年10月14日). https://www.sankei.com/article/20191014-CHQZQ4AUINNGRLXQZICDF77P5Q/ 2019年10月16日閲覧。 

参考文献

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関連文献

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  • 成田篤信、半田要太郎編輯『長沼村誌』長沼村役場、1928年11月10日。

外部リンク

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