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立川小談志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

立川 小談志(たてかわ こだんし)は落語。当代は二代目。


二代目 立川たてかわ 小談志こだんし
二代目 立川(たてかわ) 小談志(こだんし)
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。
本名 寺田 政春
生年月日 (1976-09-08) 1976年9月8日(48歳)
出身地 日本の旗 日本岐阜県揖斐郡
師匠 七代目立川談志
立川龍志
名跡 1. 立川談吉
(1999年 - 2002年)
2. 立川談一だんいち
(2002年)
3. 立川千弗せんどる
(2002年 - 2007年)
4. 泉水亭せんすいてい錦魚きんぎょ
(2007年 - 2015年)
5. 二代目立川小談志
(2015年 - )
出囃子 マグマ大使
活動期間 1999年5月 -
活動内容 落語家
所属 落語立川流
公式サイト 落語立川流 立川小談志

二代目 立川 小談志1976年9月8日 - )は、岐阜県揖斐郡生まれの落語家。本名∶寺田 政春

経歴

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1999年3月、愛知大学経済学部卒業。在学中は落語研究会に所属し、同期に柳家権太楼門下の柳家燕弥がいた。

1999年5月、落語立川流Aコースに入門し、立川 談吉だんきちと命名される。2002年5月21日、第三次前座全員破門騒動により立川流を破門となるが、その翌月、破門騒動により前座が一人しかいないという事態に対し立川談志の判断により、立川流一門共有前座という形で復帰。「談一」と改名する。同年7月には「千弗せんどる」に改名する。

2007年7月、立川キウイ立川談大立川平林立川吉幸立川談奈立川らく里立川志らべ立川らく次と共に二ツ目昇進し「泉水亭せんすいてい 錦魚きんぎょ」に改名する。他の名前の候補に、二ツ目昇進ということで「二千弗にせんどる」もあった。2011年11月に師匠の談志が死去したため2012年3月より立川龍志の預かり弟子となる。

2015年10月に立川志らら立川左平次立川志ら玉立川らく朝と共に真打昇進[1]。また、同時に「二代目立川小談志」を襲名。

芸歴

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出典

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  1. ^ 落語立川流、志らら、小談志ら5人が真打昇進”. SANSPO.COM (2015年9月23日). 2015年9月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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