土橋亭里う馬 (10代目)
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(立川談十郎から転送)
十代目 | |
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1948年9月16日(76歳) |
出身地 | 日本・埼玉県 さいたま市岩槻区 |
師匠 | 七代目立川談志 |
名跡 | 1. 立川談十 (1967年 - 1972年) 2. 立川談十郎 (1972年 - 1981年) 3. 十代目土橋亭里う馬 (1981年 - ) |
出囃子 | 都囃子 |
活動期間 | 1967年 - |
所属 | 落語協会 (1967年 - 1983年) 落語立川流 (1983年 - ) |
備考 | |
落語立川流代表 (2012年 - 2024年) | |
十代目 土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、1948年9月16日 - )は、埼玉県岩槻市出身の落語家。本名∶帯津 和夫。落語立川流所属。出囃子は『都囃子』。落語立川流の代表。
経歴
[編集]1967年3月、七代目立川談志に入門。前座名「談十」を名乗る。立川談志に初めて入門した直系弟子であり、談志一門における事実上の総領弟子でもある。
1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、三遊亭楽松と共に二ツ目に昇進、「立川談十郎」と改名。
1981年9月に林家九蔵、柳家さん八、柳家小袁治と共に真打昇進。十代目土橋亭里う馬を襲名。談志直系の弟子の真打昇進者1号となった。1983年、師匠と共に落語協会を脱退。落語立川流所属となる。
2011年11月21日に里う馬の師匠である談志が死去したことに伴う落語立川流の新体制の発表で、総領弟子である里う馬が2012年6月7日より落語立川流の新代表(談志一門の代表者)となる。代表として談志没後から10年以上一門の中心となり談志遺族や他演芸団体などとの関係を良好に保ち続けた。2024年1月に代表を辞任[1]、後任は立川志の輔。
芸歴
[編集]- 1967年3月 - 七代目立川談志に入門、前座名は「談十」。
- 1972年11月 - 二ツ目に昇進、「談十郎」と改名。
- 1981年9月 - 真打昇進、「十代目土橋亭里う馬」を襲名。
- 1983年 - 師匠と共に落語協会を脱退、落語立川流所属となる。
役職
[編集]人物
[編集]- 新派俳優の紅貴代と学校(どの段階かは不明)で同級生だった。
出演
[編集]映画
[編集]成人映画『くいこみ海女 乱れ貝』『温泉芸者 湯船で一発』『宇能鴻一郎の伊豆の踊子』に出演している(いずれも「三遊派宗家」の藤浦敦が監督)。
関連項目
[編集]- 埼玉県出身の人物一覧
- 登龍亭獅篭・登龍亭幸福 - 立川志加吾・立川談号として談志門下に在籍していたかつての弟弟子。二人が破門後に雷門小福門下に移り、2020年に登龍亭を襲名した際に、当時現役の落語家で唯一登龍亭につながる名跡[2][3]を名乗っている落語家として大須演芸場での御披露目興行に出演した。
脚注
[編集]- ^ 『東京かわら版 2024年8月号 50年前、何してた?(第10回)』東京かわら版、2024年7月28日、22-23頁。ISBN 9784910085500。
- ^ 三代目土橋亭里う馬が「登龍亭鱗生」を名乗っていた時期がある。
- ^ 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会『古今東西落語家事典』平凡社、1989年4月7日、409頁。ISBN 458212612X。