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竹内吟秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹内 吟秋
生誕 浅井直輔
天保2年2月5日1831年3月18日
加賀国江沼郡大聖寺
死没 1913年大正2年)11月2日
石川県江沼郡大聖寺町
墓地 加賀市松縁寺
国籍 日本の旗 日本
教育 塚谷竹軒大蔵寿楽雲林院宝山ゴットフリード・ワグネル加藤友太郎植田豊橘
著名な実績 陶芸
流派 九谷焼
運動・動向 古九谷復興
受賞 シカゴ万国博覧会優等賞
影響を受けた
芸術家
飯田屋八郎右衛門
影響を与えた
芸術家
中村秋塘

竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日1831年3月18日) - 1913年大正2年)11月2日)は明治時代の陶芸家。通称は直輔、源三郎、諱は知雅、別号は節翁[1]。青年期は武芸に励み、加賀大聖寺藩石川県に出仕した後、九谷焼作陶に転じ、維新舎主、九谷陶器会社支配人、江沼郡九谷陶器同盟組合頭取、石川県工業学校陶磁科教諭を歴任した。弟浅井一毫も陶芸家。

生涯

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修学

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天保2年(1831年)2月5日大聖寺藩士浅井長右衛門の長男として生まれた[1]。天保9年(1838年)室田某に習字、天保10年(1839年)菅生石部神社大江某に読書を学んだ[2]

弘化2年(1845年)堀文錦小島春晁に絵画、弘化3年(1846年)山田十助に真之神道流柔術、七尾篤忠に直心影流剣術を学び、師の没後田中有常に皆伝を受けた[2]。弘化4年(1847年)飯田屋八郎右衛門に陶画を学び興味を持ったが、武術に専念するため10日余りで断念し[3]嘉永5年(1852年)樋口彦蔵に佐分利流槍術を学んだ[2]

大聖寺藩、石川県出仕

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万延元年(1860年)3月から慶応3年(1867年)1月まで軍中殿役を務め、慶応4年(1868年)1月大砲方となり、7月京都蹴上の藩警固所に詰め、徒目付加人を兼務した[1]。11月養父が病没したため、明治2年(1869年)1月跡目を継ぎ、並、15俵となった[1]。2月帰国し、会計局横目、6月軍務局筆生、8月学政重政寮筆生加人、12月雑掌兼藩学校筆生、明治3年(1870年)3月5日文武学校筆生加人となり、10月雑掌兼藩学校筆生に戻った[1]。明治4年(1871年)11月20日大聖寺県が金沢県に併合されると、12月26日藩校も閉鎖され、無職となった[1]

明治5年(1872年)石川県大聖寺出張所租税掛となった後、1873年(明治6年)区方副戸長、11月江沼郡第19大区長、1874年(明治7年)4月江沼郡第22大区長、明治8年(1875年)鹿島郡第16大区長を歴任し、帰郷して明治9年(1876年)聯合教育会幹事、義倉会幹事等を務めた[2]

陶芸の道へ

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1878年(明治11年)古九谷復興のため塚谷竹軒大蔵寿楽に半年間九谷素地の製法を学び、京都から雲林院宝山を招いて研究に励み、1879年(明治12年)3月維新舎を開校して舎主となった[2]。1880年(明治13年)1月飛鳥井清の九谷陶器会社支配人兼陶工部長に就き、1881年(明治14年)創立事務を終えて維新舎を再興し、上京して江戸川製陶所に学んだ[2]。1884年(明治17年)来県したゴットフリード・ワグネルの指導を受け、1885年(明治18年)再び上京して加藤友太郎植田豊橘、ワグネルに学んだ[1]

1886年(明治19年)前田正名により五二会石川県江沼支部監督に指名され、1888年(明治21年)2月江沼郡九谷陶器画工組合頭取、3月陶器研究会会長、1889年(明治22年)4月江沼郡九谷陶器同盟組合頭取を歴任した[1]

1894年(明治27年)12月石川県工業学校陶磁科講師となり、1897年(明治30年)3月助教諭、1902年(明治35年)5月教諭に進んだ[1]。1907年(明治40年)5月辞職し、奥鷹匠町に工房を設けて陶芸に専念し、1913年(大正2年)11月2日病没した[1]。墓所は鉄砲町松縁寺で、戒名は心誉院秋月良円居士[3]

作品

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親族

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  • 実父:浅井長右衛門 - 明治4年(1871年)7月病没[1]
  • 養父:竹内栄蔵 - 嘉永3年(1850年)縁組。慶応4年(1868年)11月病没[1]
  • 三男:広沢芦秋 - 明治5年(1872年)生。幼名は善吉。陶芸の道に進んだ[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 今井 1993, pp. 8–9.
  2. ^ a b c d e f 和田 1903, pp. 中ノ31-34.
  3. ^ a b c d 今井 1993, pp. 4–5.
  4. ^ 色絵金襴手龍虎図大瓶”. 画像検索. 東京国立博物館. 2016年3月15日閲覧。
  5. ^ a b 館蔵品データベース”. 京都国立博物館. 2016年3月15日閲覧。
  6. ^ 赤絵金彩雲龍図花瓶”. 石川新情報書府. 石川県商工労働部産業政策課. 2016年3月15日閲覧。
  7. ^ 赤絵草花文蓋物”. 所蔵品デーテベース. 石川県立美術館. 2016年3月15日閲覧。
  8. ^ 色絵鳳凰図花瓶”. 所蔵品デーテベース. 石川県立美術館. 2016年3月15日閲覧。
  9. ^ 赤絵金彩虎渡海図平鉢”. デジタル収蔵庫. 石川県九谷焼美術館. 2016年3月15日閲覧。
  10. ^ 赤絵金彩龍図花瓶”. デジタル収蔵庫. 石川県九谷焼美術館. 2016年3月15日閲覧。
  11. ^ 中越康介. “近現代の名工たち その6”. 九谷焼窯跡展示館. 2016年3月15日閲覧。
  12. ^ 近代九谷の名工たち その7”. 九谷焼窯跡展示館. 2016年3月15日閲覧。

参考文献

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  • 和田尚軒『北国人物志』 初編、北光社、1903年。 NDLJP:778722/73
  • 今井一良「九谷焼の名工・竹内吟秋と近代水産業の開拓者・関沢明清 ―二人の接点としてのドクトル・ワグネルの存在―」『石川郷土史学会々誌』第26号、石川郷土史学会、1993年。 

外部リンク

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