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竹尾茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月5日[1])- 1937年昭和12年)1月16日[1][2])は、明治期の農業経営者、政治家衆議院議員、福井県会議長、福井県大野郡上庄村長。旧姓・真柄(まから)[1]

経歴

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越前国大野郡猪ノ島村[1][注釈 1]福井県[2]大野郡上庄村[3]を経て現大野市[4])で、真柄重右衛門の二男として生まれた[1][4]。1873年(明治6年)7月、同郡稲郷村(上庄村を経て現:大野市)の旧家・故竹尾五右衛門の婿養子となり、その長女はま と結婚した[1][4][注釈 2]。農業を営む[2]

1881年(明治14年)4月、福井県設置初の県会議員選挙で当選し[1][4]、1899年(明治32年)9月まで通算6期在任した[1][4]。この間、同議長(第5代1885年11月-12月)、同副議長(第6代1885年12月-1887年12月、第13代1892年11月-1893年9月)も務めた[1][4]。また、上庄村長に3度在任(1891年4月-1892年1月、1892年11月-1894年8月、1904年8月-1906年6月)した[1][2][3]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(福井県第1区)で当選し[1][5]第4回総選挙でも再選され[1][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]

竹尾は、県政界で杉田定一と対立し、竹尾派と杉田派は抗争を続けたが、1907年(明治40年)の議員涜職事件によって竹尾派は勢力を失った[1][4]。しかし事件そのものは、1908年(明治41年)12月、名古屋控訴院で無罪の判決が出ている[1]

実業界では、福井県農工銀行頭取を務めた[1][2][3]

国政選挙歴

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福井県会選挙歴

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  • 1881年4月当選(1期)[8]
  • 1884年6月当選(2期)[8]
  • 1887年12月当選 – 1888年12月県会解散(3期)[8]
  • 1889年1月当選 – 1890年3月半数改選抽選退職(4期)[8]
  • 1891年8月当選 – 1894年3月辞職(5期)[8]
  • 1898年7月当選 – 1899年9月府県制改正退職(6期)[8]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『福井県大百科事典』568頁では猪島村。
  2. ^ 『福井県議会史 議員名鑑』190頁の記述によれば、養家の竹尾五兵衛と婿養子五右衛門は越前門徒騒動により処刑され、はまは未亡人となっている。はまは五兵衛の娘でその婿養子・五右衛門と結婚したが、父と夫が処刑され女戸主となり真柄茂が入夫して竹尾家を相続したとも考えられる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『福井県議会史 議員名鑑』190-193頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』387頁。
  3. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』276頁。
  4. ^ a b c d e f g 『福井県大百科事典』568頁。
  5. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』42頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』98頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』93頁。
  8. ^ a b c d e f 『福井県議会史 議員名鑑』191頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。