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竹村元雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹村 元雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 中華民国の旗 台湾 花蓮港庁(現・花蓮県
生年月日 (1924-02-12) 1924年2月12日
身長
体重
167 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1949年
初出場 1950年
最終出場 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹村 元雄(たけむら もとお、1924年2月12日 - 没年不明)は、台湾花蓮港庁(現・花蓮県)出身のプロ野球選手投手)。

広島カープ初の外国出身選手である[2]

来歴・人物

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花蓮港庁立花蓮港中学校時代は、甲子園出場はなし。

終戦後は日本に帰国し、1949年阪急ブレーブスに入団。しかし、一軍出場はないまま、同年シーズン終了後に阪急を退団。翌1950年に新球団・広島カープが創設されるに当たり、初代監督を務める事となった石本秀一の誘いで、阪急時代のチームメイトだった内藤幸三武智修岡村孝雄と共に広島に入団した[1]

広島では選手が不足していた(当時の広島は資金難だった事もあり、選手も中々集まっていなかった)事もあり、ドロップを武器に、一軍出場を果たしたが、勝利を挙げる事が出来ないまま同年末に現役引退した。

通算1安打ながら、その1本がホームランであり、このような選手は他に塩瀬盛道東急)、ドン・シュルジーオリックス)がいる。

尚、広島カープ史上、初の背番号18を付けた選手でもある。竹村の後を継いで、翌1951年から背番号18を付けたのが、後に広島の初代エースとなる長谷川良平[3]である。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1950 広島 8 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 112 25.2 28 2 12 -- 1 4 1 0 21 15 5.19 1.56
通算:1年 8 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 112 25.2 28 2 12 -- 1 4 1 0 21 15 5.19 1.56

年度別打撃成績

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O
P
S
1950 広島 8 12 11 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 -- 1 -- 0 1 1 .091 .167 .364 .531
通算:1年 8 12 11 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 -- 1 -- 0 1 1 .091 .167 .364 .531

背番号

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  • 14 (1949年)※二軍番号
  • 18 (1950年)

脚注

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  1. ^ a b ベースボールマガジン』1950年3月号より。NHK広島放送局製作のドキュメンタリードラマ『シリーズ被爆70年 ヒロシマ 復興を支えた市民たち 第1回「鯉昇れ、焦土の空へ」』(2015年2月7日放送)でも紹介された。ヒロシマ 復興を支えた市民たち|NHK広島放送局 - NHKオンライン(キャスト)
  2. ^ 日系人だと、1953年銭村健三光吉勉銭村健四(いずれもハワイ準州出身の日系二世)が初めて。純粋な外国人選手としては1972年ソイロ・ベルサイエスキューバ)が初めてとなる。
  3. ^ 長谷川も1950年の広島結成時のメンバーだが、初年度の背番号は32だった。

関連項目

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外部リンク

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