笠井和彦
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笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 2013年10月21日)は、日本の実業家。富士銀行(現みずほ銀行)取締役副頭取や、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長、福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行を歴任した。
人物・経歴
[編集]香川県木田郡三谷村(現高松市)出身[1]。香川県立高松商業高等学校を経て[2]、1959年香川大学経済学部卒業。近世欧州経済史の家名田克男ゼミ第1期出身。ゼミ生は1人だけだった。大学卒業後[3]、富士銀行(現みずほ銀行)入行[4]。
1964年本店の外国部外国資金課に配属。1969年スイス銀行(チューリッヒ)での半年間研修、1973年から1977年までのニューヨーク支店勤務を含め、為替ディーラーとして活躍[5]。
1983年シカゴ支店長、1986年ニューヨーク支店長、1988年取締役本店営業第二部長、1989年国際企画部長、1990年常務、1991年専務を経て[1]、1992年副頭取。1998年から安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長を務め[4]、事業売却を進めて不良債権処理にあたった[6]。
孫正義の誘いを受け周囲の反対を押し切り2000年ソフトバンク取締役に就任し、以降ソフトバンクグループのM&Aを取り仕切った[7]。2004年日本テレコム取締役。2005年福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行。2006年ボーダフォン取締役。2013年肺カルチノイドのため急逝[4]。
脚注
[編集]- ^ a b 「笠井和彦さんを悼む ゲームセットはあまりに突然に」日本経済新聞2013/10/24付
- ^ [1]
- ^ 「YOU HOP Interview 第1回ソフトバンク株式会社取締役 笠井和彦さん(経済7回)又信会東京支部支部長」又信会東京支部
- ^ a b c 役員の異動に関するお知らせ(訃報)ソフトバンク2013年
- ^ 『金融情報システム』1995年6月
- ^ 「笠井和彦さんを悼む ゲームセットはあまりに突然に」p2日本経済新聞2013/10/24付
- ^ 「笠井和彦さんを悼む ゲームセットはあまりに突然に」p3
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