第20次西成暴動
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2019年6月) |
第20次西成暴動(だい20じにしなりぼうどう)とは、1973年(昭和48年)4月と5月に大阪府大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)で発生した日雇い労働者による暴動事件。「第20次釜ヶ崎暴動」ともいう。
事件の概要
[編集]1973年4月30日夜、新左翼系の釜ヶ崎共闘会議は、明日開催する「釜ヶ崎メーデー」のビラ撒きをしていた。その頃からパチンコ店のシャッターを蹴ったりするなど既に不穏な空気が立ちこめていた。
5月1日、あいりん地区内の三角公園で「釜ヶ崎メーデー」が開かれた。「悪質ベア粉砕」「西成署を粉砕せよ」と気勢をあげ、その内の一団は国鉄大阪環状線新今宮駅までデモ行進した。
その後、彼らは大阪環状線内回りの国電の後部3両目に乗り込み、事実上占拠した。鶴橋駅に到着すると、中の暴徒がプラットホームに飛び出した。そして近鉄の駅にまで侵入し、窓ガラスを割るなどした。この際の狼藉で、たまたま居合わせていた女性乗客3人に重軽傷を負わせ、駅員や鉄道公安職員にも軽傷を負わせた。
その後、彼らは元の国電に乗り込み、次の玉造駅で爆竹を投げ、その次の森ノ宮駅では駅内をデモ行進し、駅の施設を破壊した。国鉄は問題の国電後部3両目を封鎖し、環状線を1周して京橋駅で運転を取り止めた。
同日夜まであいりん地区では、暴動が散発的に起きていた。
参考文献
[編集]- 『朝日新聞(大阪版)』1973年5月1日朝刊、5月1日夕刊、5月2日朝刊