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笹尾秀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笹尾 秀子(ささお ひでこ、生年不詳 - 1938年6月20日)は、日本の婦人伝道師、牧師夫人。笹尾鉄三郎の妻である。笹尾秀とも表記される。

島根県能義郡広瀬町(現、島根県安来市)の森山家に生まれる。

1897年(明治30年)10月、島根県松江市赤山の日本伝道隊の宣教師バークレー・バックストンの元で修養していた笹尾鉄三郎と結婚する。

1898年(明治31年)5月に夫と共に上京し、東京四谷に住む。1899年(明治32年)、淡路の福長に滞在して、夫鉄三郎の親友河辺貞吉フリーメソジスト教会の活動を、夫と共に助ける。

1901年(明治34年)、中田重治らが中央福音伝道館を設立する際に移り住む。後に、淡路町の伝道館に移る。

東洋宣教会聖書学院が東京府柏木に移転すると、柏木に移り住む。近所に内村鑑三一家が住んでいた。

1908年(明治41年)、東洋宣教会の鈴鹿正一の娘・美和(9歳で夭折)を養女に迎える。

1914年(大正3年)12月30日、夫鉄三郎が病死する。

1931年(昭和6年)、日本伝道隊に関わり深かったG・ブレスウェイトが赤坂で伝道していたが、ブレスウィトが亡くなると、未亡人と長男バーハム・ブレイスェイトが伝道を続けた。

笹尾は宮村伊三郎と共にブレスウエイト親子に協力し、赤坂教会の設立に関わる。1938年中風で死去するまで赤坂教会の伝道師として働く。墓所は雑司ヶ谷霊園

参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 荒木寛二『笹尾鉄三郎』教会新報社、1982年