篠ノ井町
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しののいまち 篠ノ井町 | |
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廃止日 | 1959年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 篠ノ井町、塩崎村 → 篠ノ井市 |
現在の自治体 | 長野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 更級郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 36.34 km2. |
総人口 |
23,361人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 長野市、更級郡川中島町、塩崎村、信更村、埴科郡屋代町、松代町、上水内郡七二会村 |
篠ノ井町役場 | |
所在地 | 長野県更級郡篠ノ井町 |
座標 | 北緯36度34分25秒 東経138度08分19秒 / 北緯36.57375度 東経138.13867度座標: 北緯36度34分25秒 東経138度08分19秒 / 北緯36.57375度 東経138.13867度 |
ウィキプロジェクト |
篠ノ井町(しののいまち)は長野県更級郡にあった町。現在の長野市篠ノ井布施五明・篠ノ井布施高田にあたる。篠ノ井市は1959年に新設合併で発足した別の自治体である。本項では町制前の名称である布施村(ふせむら)についても述べる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、布施五明村・布施高田村の区域をもって布施村が発足。
- 1914年(大正3年)4月21日 - 布施村が町制施行・改称して篠ノ井町となる。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 栄村と合併し、改めて篠ノ井町が発足。
- 1947年(昭和22年)10月12日 - 昭和天皇の戦後巡幸。天皇がリンゴ農家を視察[1]。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 東福寺村・川柳村と合併し、改めて篠ノ井町が発足。
- 1951年(昭和26年)10月1日 - 東福寺の一部(道島・筏道下区)を埴科郡松代町に編入。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 共和村と合併し、改めて篠ノ井町が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 信里村を編入。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 小松原の一部を川中島町から分割編入。[要検証 ]
- 1957年(昭和32年)8月1日 - 埴科郡松代町の一部(杵淵および西寺尾のうち川西地区)を編入。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 塩崎村と合併して篠ノ井市が発足。同日篠ノ井町廃止。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]脚注
[編集]- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、485頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県