琉球列島米国民政府
琉球列島米国民政府 United States Civil Administration of the Ryukyu Islands | |||
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琉球列島高等弁務官が装着していた紋章。 | |||
概要 | |||
創設年 | 1950年12月15日 | ||
解散年 | 1972年5月15日 | ||
対象国 | 琉球諸島 | ||
政庁所在地 | 浦添市小湾牧港補給地区(沖縄返還直前の時期) | ||
代表 | 民政長官→琉球列島高等弁務官 | ||
備考 | |||
地位としては軍事占領。 | |||
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兵員 | 39,350人 :1972年(昭和47年) |
軍用地面積 | 286,610,000m2 :1972年(昭和47年) |
琉球列島米国民政府のデータ | |
政府創立記念日 | 12月15日 |
職員数 | 168人 :1972年(昭和47年) |
米国民政府ビル | |
所在地 | 浦添市字小湾465番地 :1972年(昭和47年) |
琉球列島米国民政府(りゅうきゅうれっとうべいこくみんせいふ、英語: United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)は、米軍が沖縄に設けた統治機構。USCAR(ユースカー)と略称されるほか、単に「米国民政府」とも称される。
概要
[編集]米国民政府は琉球政府の上部組織であり、米軍の意向に沿った政治を琉球政府に行わせるための命令機関であった。ただし、すべての業務を琉球政府に行わせたわけではなく、たとえば、電力供給を統括する琉球電力公社(現在の沖縄電力)は米国民政府の所管であり、琉球大学も当初は米国民政府が管轄していた。なお、直接司法権を行使するために「米国民政府裁判所」という独自の裁判所も設けていた。
発足当初の最高責任者は民政長官と呼ばれ、統治の全責任を負っていたが、アメリカ極東軍司令官(連合国軍最高司令官)との兼任であったため、実際には沖縄にいる民政副長官に職務権限を委任していた。1957年(昭和32年)に民政長官・副長官制が廃止され、高等弁務官になった。
沖縄本土復帰の前日である1972年5月14日に閉庁(廃止)された。
沿革
[編集]- 1945年(昭和20年)4月1日 - 沖縄戦でアメリカ軍が沖縄本島に上陸した日と同日に、琉球列島米国軍政府が設立される[1]。
- 1946年(昭和21年)7月1日 - 軍政府の権限が海軍から陸軍へ委譲される。
- 1950年(昭和25年)12月15日 - アメリカ軍による沖縄の長期的統治のため、軍政府から民政府へ改組される[1]。
- 1957年(昭和32年)6月5日 - 民政府の長が高等弁務官となる[1]。
- 1969年(昭和44年)7月25日 - 浦添村の民政府庁舎に過激派学生が侵入する米国民政府乱入事件が発生。
- 1972年(昭和47年)5月14日 - 沖縄返還により民政府が閉庁する。
庁舎の変遷
[編集]1945年4月1日、沖縄島に上陸した米軍はニミッツ布告(正しくは米国海軍軍政府布告第1号「権限の停止」。太平洋艦隊司令長官兼米太平洋地区司令官チェスター・ニミッツが発したのでこの通称)により軍政を宣言し、読谷村比謝(ひじゃ)に軍政府を設立した。軍政府は、避難民の収容と収容所の管理・運営などを行った。沖縄戦終結後、米軍政府は具志川村栄野比(現:うるま市栄野比)に移転した。
1946年10月、軍政府は玉城村親慶原(現:南城市)の知念補給地区へ移転した。それに付随し、4月24日に石川市東恩納(現:うるま市東恩納)に発足した沖縄民政府も隣接する佐敷村新里(南城市佐敷新里)の新里通信所へ移転した。
1949年7月25日、沖縄民政府がまず那覇市久米の旧上山国民学校(元那覇尋常小学校)に移転し、またすぐに隣接する旧天妃国民学校に移転。それに伴い、米軍政府が12月に那覇市久米の旧上山国民学校に移転し、軍政府長官シーツ少将は那覇市が沖縄の首都となることを発表した[2]。1950年12月15日、軍政府の名前が廃止されて米国民政府となり、長期的統治の段階にむかう。
1953年4月28日、現沖縄県庁所在地の那覇市泉崎に琉球政府行政ビルが完成すると、米国民政府は上層階(3階・4階)に、また下層階には1952年4月1日発足に発足した琉球政府が移転した。
1968年1月8日 米国民政府は浦添村(後の浦添市)小湾の牧港補給地区に移り、これが最後の庁舎移転となった。
組織(行政府のみ)
[編集]1952年(昭和27年)10月10日時点
[編集]- 民政長官(Governor) - 民政副長官(Deputy Governor)
- 民政官(Civil Administrator) - 副民政官(Deputy Civil Administrator)、行政官(Executive Officer)
- 総務課(Administrative Section)
- 統計課(Programs & Statistics Section)
- 財政部(Finance Department)
- 経済部(Economics Department)
- 通信部(Communications Department)
- 民間情報教育部(Civil Information & Education Department)
- 補給部(Supply Department)
- 公益事業部(Public Services Department)
- 公衆衛生福祉部(Public Health & Welfare Department)
- 行政法務部(Government & Legal Department)
- 宮古民政官府(Miyako Civil Administration Team)
- 八重山民政官府(Yaeyama Civil Administration Team)
- 奄美民政官府(Amami Civil Administration Team)
- 民政官(Civil Administrator) - 副民政官(Deputy Civil Administrator)、行政官(Executive Officer)
1958年(昭和33年)1月10日時点
[編集]- 高等弁務官(High Commissioner)
- 首席民政官室(Office of Civil Administrator)
- 渉外室(Liaison Office)
- 渉外報道局(Office of Public Information)
- 総務部(Office of Administrative Services)
- 財政部(Finance Department)
- 法制法務部(Legislative & Legal Department)
- 経済開発部(Economic Development Department)
- 司法部(Judicial Department)
- 保安部(Public Safety Department)
- 教育部(Education Department)
- 公衆衛生福祉部(Public Health & Welfare Department)
- 労働部(Labor Department)
- 宮古民政官府(Miyako Civil Administration Team)
- 八重山民政官府(Yaeyama Civil Administration Team)
- 首席民政官室(Office of Civil Administrator)
歴代長官
[編集]民政長官
[編集]- ダグラス・マッカーサー陸軍元帥
- マシュー・リッジウェイ陸軍中将
- マーク・W・クラーク陸軍大将
- ジョン・エドウィン・ハル陸軍大将
- マクスウェル・D・テイラー陸軍大将
- ライマン・L・レムニッツァー陸軍大将
民政副長官
[編集]- ロバート・S・ビートラー陸軍少将
- ハリー・B・シャーマン陸軍准将
- ロバート・S・ビートラー陸軍少将
- デビッド・A・D・オグデン陸軍少将
- ジェームス・E・ムーア陸軍中将
高等弁務官
[編集]- ジェームス・E・ムーア陸軍中将(民政副長官から留任)
- ドナルド・P・ブース陸軍中将
- ポール・W・キャラウェイ陸軍中将
- アルバート・ワトソン2世陸軍中将
- フェルディナンド・T・アンガー陸軍中将
- ジェームス・B・ランパート陸軍中将
参考文献
[編集]- 照屋栄一『沖縄行政機構変遷史 明治12年~昭和59年』照屋栄一、1984年8月15日。NDLJP:9775065。
- 貴志俊彦・泉水英計・名嘉山リサ 編著/企画・監修『よみがえる沖縄 米国施政権下のテレビ映像 ―琉球列島米国民政府(USCAR)の時代』不二出版、2020年2月、A5判上製書籍総281頁+DVD6枚組
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『角川日本地名大事典 47 沖縄県』(1986年7月8日、角川書店発行)1065頁。
- ^ “米国民政府跡(ベイコクミンセイフアト):那覇市歴史博物館”. www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp. 2021年3月15日閲覧。
外部リンク
[編集]先代 琉球列島米国軍政府 |
行政区の変遷 1950年(昭和25年) - 1972年(昭和47年) |
次代 沖縄県(第2次) |