純心中学校・純心女子高等学校
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純心中学校・純心女子高等学校 | |
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新校舎(2013年4月完成) | |
北緯32度47分8.03秒 東経129度52分3.84秒 / 北緯32.7855639度 東経129.8677333度座標: 北緯32度47分8.03秒 東経129度52分3.84秒 / 北緯32.7855639度 東経129.8677333度 | |
過去の名称 |
純心女学院 長崎純心高等女学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人純心女子学園 |
設立年月日 | 1935年(昭和10年) |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
C142310000060 中学校) D142310000095 (高等学校) | (
高校コード | 42507K |
所在地 | 〒852-8515 |
長崎県長崎市文教町13-15 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
純心中学校・純心女子高等学校(じゅんしんちゅうがっこう・じゅんしんじょしこうとうがっこう, Junshin Junior and Senior Girls' High School)は長崎県長崎市文教町にある私立の併設型中高一貫校。
概要
[編集]- 「先ず孝行」
- 「マリアさま、いやなことは私がよろこんで」
- 姉妹校
- 鹿児島純心女子中学校・高等学校
- 川内純心女子高等学校(2009年閉校)
- 東京純心女子中学校・高等学校
沿革
[編集]- 1934年(昭和9年)- 長崎純心聖母会が創立。
- 1935年(昭和10年)- 長崎市西中町(現・中町)に「純心女学院」が創立。
- 1936年(昭和11年)- 「長崎純心高等女学校」に改称。
- 1937年(昭和12年)- 長崎市家野町(現在地)に移転。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、「純心中学校」(新制中学校)が開校。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「純心女子高等学校」(新制高等学校)が開校。長崎市家野町(現・文教町)に校地復帰し、授業を開始。
- 2013年(平成25年)4月 - 新校舎(本館5階建て)が完成。
部活動
[編集]- 音楽部(高校)- 毎年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にて、大島ミチルの作曲になる「千羽鶴」の合唱を担当。
- 1949年(昭和24年)第26回NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール3位
- 1997年(平成9年)第48回全日本合唱コンクール同声合唱の部銅賞
- 2002年(平成14年)第55回全日本合唱コンクール高校Aグループ銀賞
- 2004年(平成16年)第57回全日本合唱コンクール高校Aグループ銅賞
- 2008年(平成20年)第63回九州合唱コンクール朝日新聞社大賞(九州第1位)、第61回全日本合唱コンクール高校Aグループ金賞
- 2009年(平成21年)第64回九州合唱コンクール朝日新聞大賞、第62回全日本合唱コンクール高校Aグループ金賞
- コーラス部(中学)
- 1997年(平成9年)第48回全日本合唱コンクール同声合唱の部銅賞
- バレーボール部(高校)
著名な出身者
[編集]アクセス
[編集]学校の目の前にバス停(純心校前停留所)があるが、本数が少ないため、大半の生徒は本数の多い国道206号上のバス停(長崎大学前停留所)を利用する。
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 長崎バス
- 1系統 長崎振興局バス停または長崎大学前バス停下車 徒歩約7分 (本数多い)
- 9系統 純心校前バス停下車 徒歩すぐ(本数少ない)
- 県営バス 純心校前バス停または長大東門前バス停下車徒歩すぐ(本数少ない)
脚注
[編集]- ^ “純心が創成館を破り47大会ぶり優勝 男子は大村工が2大会連続19回目V【長崎県高総体・バレーボール】”. TBS NEWS DIG. (2023年6月16日) 2023年7月23日閲覧。
- ^ “春高バレー長崎県大会 純心女が48年ぶり優勝 男子は大村工がV2”. 長崎新聞. (2023年11月5日) 2023年11月7日閲覧。