組田龍司
組田 龍司 | |
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生誕 | 1967年1月25日(57歳) |
出身地 | 日本 神奈川県横浜市 |
職業 | 実業家、レーシングドライバー |
組田 龍司(くみた りゅうじ、1967年1月25日[1] - )は、日本の実業家、レーシングドライバー。レース活動時はDRAGONを名乗る。
略歴
[編集]22歳のときに、自動車部品メーカー・屏風浦工業を経営する父親が癌で余命宣告を受けたため、急遽同社の社長の座を継ぐ。突然の社長就任だったため、当時はかなりの辛酸を嘗める日々だったという[2]。
37歳のとき、旧知の仲であるRE雨宮社長の雨宮勇美から「レースをやりたいなら無理してでもやりなよ」とアドバイスを受けたことが契機で、2004年にポルシェ・911(993型)で鈴鹿1000kmに出場しレースデビュー[2]。2006年からはポルシェカップに3年間参戦する。2009年には、屏風浦工業内にレース事業部(後にB-MAX RACINGとして分社化)を設け、会社としてレース活動を手掛けるようになった。
2013年からは全日本F3選手権・Nクラスに参戦を開始。2017年には全日本F3・F3Nクラスでドライバーズチャンピオンを獲得し、同年のマカオグランプリにも出場した(初日にクラッシュで左手薬指を骨折し、翌日以降は欠場[3])。翌2018年もマカオグランプリに挑戦し、決勝は20位(最下位)ながらも完走した[4]。なおこのマカオGP時の年齢(51歳)は、マカオGPのメインレース史上最高齢での出走記録でもある[4]。
2020年には全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権・第6戦(スポーツランドSUGO)で5位入賞(マスタークラス優勝)し、53歳にして全日本選手権での初ポイントを獲得[5]。同年12月にはスーパーフォーミュラの合同テストで自らダラーラ・SF19のハンドルを握った[6]。
2021年はスーパー耐久にも参戦を開始。ST-ZクラスにメルセデスAMG GT4で参戦し、チームメイトには関口雄飛/今田信宏を迎える[7]。ただし参戦は第3戦までで、シーズン後半は欠場となった。
レース戦績
[編集]- 2013年 - 全日本F3選手権 Nクラス(シリーズ4位)
- 2014年 - 全日本F3選手権 F3Nクラス(シリーズ6位)
- 2015年 - 全日本F3選手権 F3Nクラス(シリーズ3位)
- 2016年 - 全日本F3選手権 F3Nクラス(シリーズ2位)
- 2017年 - 全日本F3選手権 F3Nクラス(シリーズチャンピオン)
- 2018年 - 全日本F3選手権(シリーズ17位)
- 2019年 - 全日本F3選手権 マスタークラス(シリーズチャンピオン)
- 2020年
- 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権 マスタークラス(シリーズチャンピオン)
- フォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップ(シリーズ6位)
- 2021年
- 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権
- フォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップ(シリーズ17位、マスタークラス7位)
- スーパー耐久 ST-Zクラス(シリーズ13位)
- 2022年 - 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権 マスタークラス(シリーズ11位、マスタークラス2位)
全日本フォーミュラ3選手権/全日本スーパーフォーミュラライツ選手権
[編集]脚注
[編集]- ^ 組田 龍司プロフィール - motorsport.com
- ^ a b B-MAXストーリー(1)いま気になるチーム、B-MAXレーシング - Motorsport Forum・2021年10月3日
- ^ 50歳・組田が欠場へ クラッシュで指骨折 - トーチュウF1Express・2017年11月17日
- ^ a b 2018年のマカオGPを、日本人ドライバーたちはどう戦ったのか? - motorsport.com 2018年11月21日
- ^ スーパーフォーミュラ・ライツ:53歳DRAGONが8年越しの夢を果たす「誇りだと思っています」 - AUTOSALON Tokyo・2020年10月17日
- ^ 53歳のDRAGONと56歳の今田信宏がSF19を初ドライブ。そのタイムに周囲からも驚嘆の声 - オートスポーツ・2020年12月23日
- ^ B-MAX ENGINEERING、メルセデスAMG GT4でスーパー耐久ST-Zに参戦。関口雄飛を起用 - オートスポーツ・2021年3月19日
外部リンク
[編集]- DRAGON - 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権