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西ヶ廣渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
結城雅秀から転送)

西ヶ廣 渉(にしがひろ わたる、1950年4月18日 - )は、日本の外交官演劇評論家。駐ルクセンブルク特命全権大使宮内庁宮務主管等を務めた。演劇評論家としての筆名結城 雅秀(ゆうき まさひで)。

人物

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愛知県名古屋市生まれ。丹羽郡扶桑町出身。東海中学校・高等学校を経て、1974年に一橋大学経済学部を卒業し外務省入省。1977年オックスフォード大学哲学政治経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業[1][2][3]

小学生のときにローレンス・オリヴィエの『ハムレット』をテレビで観て以来、演劇に没頭するようになる[4]。外交官の仕事のかたわら「結城雅秀」のペンネームで、1979年から『テアトロ』で演劇評論を定期的に執筆する[5]。社団法人日本演劇協会会員[6]

2009年から駐リビア特命全権大使を務め、2011年リビア内戦の際には、高校大学の同期である隣国チュニジア大使多賀敏行の尽力で在チュニジア日本大使館に移動し、在留邦人の国外退避支援活動などにあたった[1][7]

2014年4月から宮内庁宮務主管を務め[8]、2016年には秋篠宮文仁親王の意向を受け、「NHKによる天皇陛下『生前退位』の意向のスクープ」(日本新聞協会賞受賞)のため、NHK記者を同親王と面会させたとされる。同年10月宮務主管を退任し、宮内庁御用掛となった[1][9]

略歴

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著書

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  • 『シェイクスピアの生涯』(勉誠出版、2009年5月)

訳書

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論文等

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  • 「シェイクスピアのテクスト究明-「国際シェイクスピア会議」に参加して」(『テアトロ』通号 811)2008年10月
  • 「カドガン広場からの報告-物価高のロンドン、「恋の骨折り損」」(『悲劇喜劇』60(11) (通号 685) 2007年11月
  • 「虚飾を取り去った人間の究極-パリ・アテネ座「勝負の終わり」「クラップの最終テープ」」(『悲劇喜劇』60(4) (通号 678) 2007年4月
  • 「国際会議報告 IAPアレクサンドリア会合の報告」学術の動向. 12(1) (通号 130) [2007.1]
  • 「オオカミなんか……やっぱり怖い—アポロ劇場「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」」悲劇喜劇. 59(7) (通号 669) [2006.7]
  • 「国際会議報告 IAC理事会から得たインスピレーション」 学術の動向. 11(4) (通号 121) [2006.4]
  • 「人間の本能に基づく祝祭劇 (特集=前衛のいま)」悲劇喜劇. 59(4) (通号 666) [2006.4]
  • 「劇評 視覚的効果を重視した象徴主義--RSC「夏の夜の夢」悲劇喜劇. 59(3) (通号 665) [2006.3]
  • 「偉大な世界最大の民主主義国家 インド新内閣の構造と政策」外交フォーラム. 17(8) (通号 193) [2004.8]
  • 「作品解説」『Kazuki : ここがわたしの地球 : 品川能正戯曲集』カモミール社, 2001.3
  • 「東宝「Ninagawaマクベス」--桜吹雪と仏壇と (劇評)」 テアトロ. (通号 446) [1980.04]

他多数。

同期

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脚注

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  1. ^ a b c 「同級生交歓――東海高校(昭和41年入学)【全文公開】」 文藝春秋digital 2019/11/15 06:00
  2. ^ 「西ヶ廣 渉氏」 上智大学ソフィア会
  3. ^ 「 大使略歴」 外務省
  4. ^ 日本経済新聞(2000年6月2日)
  5. ^ 中日新聞(2009年7月11日)、朝日新聞(1985年2月12日)
  6. ^ 『首都デリー』
  7. ^ 時事通信2011/02/26-01:02
  8. ^ a b 「日野西宮務主管が退官=宮家のお世話10年」 時事通信20140328
  9. ^ 「NHKの「生前退位」スクープ 手引きの宮内庁幹部を安倍官邸が更迭」『週刊新潮』2016年10月13日神無月増大号
  10. ^ 『ニッポンビジネスマン図鑑 : ライフスタイル別会社案内』、洋泉社、1986年6月発行 52頁
  11. ^ a b c 『全国官公界名録 2003年』同盟通信社
  12. ^ 「【雑誌】外国語学部 多賀敏行教授が月刊誌「文藝春秋」で紹介されます」 大阪学院大学
  13. ^ 春の叙勲受章者 毎日新聞2020年4月29日

外部リンク

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先代
吉田正嗣
日本学術会議事務局長
2005年 - 2007年
次代
竹林義久