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柿坪正義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柿坪 正義 (かきつぼ まさよし、1907年 - 1997年)は、日本外交官外務省情報文化局長や、国連大使、駐アラブ連合共和国大使、駐スイス大使、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。正三位勲一等瑞宝章

人物・経歴

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兵庫県加古川市出身[1]通産省官僚で日米繊維交渉時などで日東紡績会長を務めた柿坪精吾は弟[2]。姫路市立姫路商業学校(現兵庫県立姫路商業高等学校)在学中、同級生の黒田俊夫(のちに日本大学人口問題研究所名誉所長)とともに東京商科大学(現一橋大学)進学を目指し[1]、同大に進学。大学在学中文官高等試験に合格し、1932年に中退し外務省に入省した。

ケンブリッジ大学留学や、大東亜省南方事務局事務官、自由インド仮政府一等書記官等を経て、第二次世界大戦後は外務省情報文化局長、国連政府代表部大使、駐パキスタン特命全権大使、駐アラブ連合共和国特命全権大使、駐スイス特命全権大使、国連アジア極東経済委員会研修所長、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した[3][4][5]。1978年勲一等瑞宝章受章[6]。1997年叙正三位[7]

脚注

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  1. ^ a b 「姫商の歴史」兵庫県立姫路商業高等学校
  2. ^ 人事興信録 28版
  3. ^ 「柿坪正義」共同通信
  4. ^ 「名録第30巻 - 長崎県立長崎図書館」長崎県
  5. ^ 「ネタジに近侍したころの思い出1995年5月31日 元光機関員ネタジ専属連絡員 根岸忠素」財団法人国際平和協会
  6. ^ [1]
  7. ^ 官報平成9年本紙第2073号 9頁