太田一郎 (外交官)
太田 一郎(おおた いちろう、1902年6月6日[1] - 1996年1月20日)は、日本の外交官。位階は正三位。
外務省総務局長、外務事務次官を経て、駐タイ兼ラオス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使兼駐チュニジア特命全権公使等を務めた。
人物・経歴
[編集]山梨県甲府市生まれ[2]。1922年第五高等学校文科甲類卒業[3]。1924年高等試験外交科試験合格。同年東京帝国大学法学部政治学科を中退し、外務省在外研究員として中華民国に留学。1927年外交官補任官、中華民国在勤、叙従七位。1928年英国在勤[4][2]。
在南京副領事を経て[2]、1932年在上海副領事[5]。同年在中華民国公使館三等書記官[6]。1937年在ロスアンゼルス領事[7]、日本赤十字社ロスアンゼルス特別委員長[8]。
1939年在中華民国大使館二等書記官[9]。1940年外務省東亜局第一課長、普通試験委員[10]。1943年在中華民国大使館参事官[11]。1946年臨時本省事務従事[12]。1947年外務省総務局長[13]。
1948年外務次官[14]。1949年外務省特別資料部長事務取扱[15]。同年外務事務次官、外務省研修所長事務取扱[16]、中央連絡協議会会長[17]、出入国管理連絡協議会会長[18]。1950年外務省調査局長事務代理[19]。
1952年駐タイ特命全権大使[20]。1955年駐タイ特命全権大使兼駐ラオス特命全権大使[21]。1956年駐イタリア特命全権大使[22]。1958年駐イタリア特命全権大使兼駐テュニジア特命全権公使[23]。
1959年特命全権大使・スカルノインドネシア共和国大統領接伴委員長[24]。退官後、東京都港区芝三田小山町の清風苑に居住。国際学友会理事長などを務めた[2]。1972年勲一等瑞宝章受章[25]。1996年叙正三位[26]。
親族
[編集]父は教育者の太田秀穂。外交官の太田三郎や同じく外交官の太田正己は弟[27][28]。
訳書
[編集]- 鄒唐(タン・ツォウ)『アメリカの失敗』毎日新聞社、1967年
出典
[編集]- ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)お257頁
- ^ a b c d タン・ツォウ『アメリカの失敗』 (アジア問題叢書) 毎日新聞社, 1967
- ^ 第五高等学校一覧 昭和8至9年
- ^ 外務省年鑑 第2
- ^ 官報 1932年09月03日
- ^ 官報 1932年09月14日
- ^ 官報 1937年10月15日
- ^ 官報 1937年11月05日
- ^ 官報 1939年05月23日
- ^ 官報 1940年09月17日
- ^ 官報 1943年04月15日
- ^ 官報 1946年09月05日
- ^ 官報 1947年02月20日
- ^ 官報昭和24年本紙第6590号 3頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6692号 52頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6753号 207頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6781号 215頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6858号 214頁
- ^ 官報昭和25年本紙第7164号 372頁
- ^ 官報昭和27年本紙第7743号 586頁
- ^ 官報昭和30年本紙第8620号 415頁
- ^ 官報昭和31年本紙第8721号 391頁
- ^ 官報昭和33年本紙第9424号 535頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9726号 654頁
- ^ 官報昭和47年本紙第13764号 18頁
- ^ 官報平成8年本紙第1839号 6頁
- ^ 教育心理研究 13(7) 東京文理科大学心理学教室 編 (培風館, 1938-07)
- ^ 財界展望 23(4)(271) (財界展望新社, 1979-04)
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