矢田七太郎
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矢田 七太郎(やだ しちたろう、1879年〈明治12年〉12月4日[1] - 1957年〈昭和32年〉3月1日[2])は、日本の外交官。駐スイス公使。東亜同文書院大学学長。
経歴
[編集]静岡県出身。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[3]。広州領事官補、漢口領事官補、天津領事官補、清国外交官補、イタリア大使館二等書記官、ロンドン総領事、サンフランシスコ総領事、上海総領事を歴任[3]。1929年(昭和4年)、駐スイス公使に任命された[3]。
退官後は満州国参議府参議を経て、1940年(昭和15年)より東亜同文書院院長・東亜同文書院大学学長を務めた[4]。
著書
[編集]- 『幕末之偉人 江川坦庵』国光社、1902年12月。 NCID BN13647677。全国書誌番号:40018103 NDLJP:781102。
- 『都市経営論』博文館〈帝国百科全書 第183編〉、1908年7月。 NCID BN08202911。全国書誌番号:40020972 NDLJP:784719。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 人事興信録 第14版(下) 1943.
- ^ 人事興信録 第12版下
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。