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山崎馨一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 馨一(やまざき けいいち、1882年明治15年)2月28日[1] - 1948年昭和23年)9月12日)は、日本外交官。駐ペルー公使

経歴

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神奈川県出身。1905年(明治38年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[1][2]。領事官補となり漢口ニューヨークに勤務した[2]。さらにシカゴ領事、イギリス大使館三等書記官、同二等書記官、ロンドン総領事、上海総領事、ホノルル総領事、駐ペルー公使を歴任した[1][2]

退官後は後藤風雲堂株式会社取締役会長、後藤風雲堂製作所株式会社社長を務めた[3]

1948年昭和23年)9月12日、病気療養中に東京都世田谷区の自宅で死去、63歳[4]

親族

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  • 石井菊次郎 - 前妻の父[1]。外務大臣。
  • 後藤節蔵 - 後妻の父[2]。後藤風雲堂創業者。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信録 第5版 1918, p. や之部(山) や八九.
  2. ^ a b c d 人事興信録 第7版 1925, p. や之部(山) や九二.
  3. ^ 大衆人事録 1937, p. 東京 七〇二.
  4. ^ 山崎馨一元総領事 東京都で永眠」『布哇タイムス』1948年11月4日、6面。2024年3月21日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。