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島村久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島村 久(しまむら ひさし、1850年3月31日嘉永3年2月18日) - 1918年大正7年)1月13日)は、日本外交官。初代京城領事や、ニューヨーク総領事ホノルル総領事を務めた。

来歴

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備前岡山藩上道郡八幡村(後の岡山県上道郡宇野村大字八幡、現在の岡山市中区)に島村文吾の長男として出生[1][2]池田茂政右筆となり、傍ら星島塾で漢籍を学ぶ[1][2]。後に山田方谷の門下生として陽明学を学び、方谷が閑谷学校に来ると閑谷に移って研究を続けた[1][2][3]。1874年渡し、天津領事館書記生着任[4]。1883年京城臨時代理公使。1884年在京城公使館内に設置された在京城領事館の初代領事に就任[5]。1892年ニューヨーク総領事。1897年弁理公使。1898年特命全権公使。退官後、鴻池財閥入りし、鴻池銀行理事や、大阪倉庫取締役を務めた[4]。1919年正四位[6]

親族

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妻の米子は本田親雄男爵の二女。長女かつ子は波多野二郎子爵の妻。二女きみ子は鍋島陸郎男爵の妻。三女光は向山均男爵の妻。養女清は吉田苞の妹[4]。二男・島村環(名古屋大学名誉教授、横浜市立大学教授)の岳父に実吉純郎[7]

脚注

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  1. ^ a b c 岡山市史 人物編192頁(岡山市史編集委員会、1968年)
  2. ^ a b c 宇野地区の歴史 : 旧上道郡宇野村史390頁(宇野学区史刊行会、1981年)
  3. ^ 山田方谷に学ぶ会代表世話人の渡…山陽新聞2020年02月15日
  4. ^ a b c 「島村久 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  5. ^ 在京城公使館/在京城領事館/在韓国公使館アジア歴史資料センター
  6. ^ 授爵・敍任及辭令 / - / - / 島村久等(宮内省)/p154官報. 1919年01月14日
  7. ^ 実吉純郎『人事興信録. 第15版 上』