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岩谷滋雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩谷 滋雄(いわたに しげお、1950年(昭和25年)9月8日 - )は日本の外交官国際公務員。駐オーストリア特命全権大使などを経て、第2代三国協力事務局長。

人物

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高知県出身。1969年愛光高等学校卒業、1973年一橋大学法学部卒業、同年外務省入省。

英語研修(米国)、国連政府代表部一等書記官、在インドネシア大使館一等書記官、経済協力局政策課企画官を経て、1991年外務省国際連合局科学課長、1993年在ドイツ日本国大使館参事官、1996年在中国公使(文化担当)、1998年法務省入国管理局政策課長、1999年法務省仙台入国管理局長、2001年外務省領事移住部審議官、2002年内閣府遺棄化学兵器処理担当室長、2004年在ドイツ公使、2005年ホノルル総領事。2007年8月からケニア国駐箚特命全権大使(ブルンジエリトリアセーシェルルワンダ国兼轄)。2010年8月からオーストリア国駐箚特命全権大使。同年10月より兼駐コソボマケドニア大使。2013年9月から第2代三国協力事務局[1]。2016年からリンガハウス教育研究所理事長[2]。外務省記録審査員や[3]日墺協会理事等も務めた[4]

業績

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  • 内閣府遺棄化学兵器処理担当室長時代にはハルバ嶺遺棄化学兵器を廃棄処理する事業等を進めた。
  • ホノルル総領事時代の2006年には総領事館内で発足したビジット・ジャパン・キャンペーンホノルル推進会会長も務め、国土交通省などとも連携し、日本とハワイの間の観光交流を推し進めた。
  • ケニア大使時代の2008年にエチオピア世界の医療団所属医師である日本人女性が武装集団に誘拐された際には、現地対策本部長を務め、解放された女性医師と面会したあとナイロビで記者会見を開き「『日本食が恋しい』と話していた。元気そうだった。」などと説明した[5]。2009年には「もったいない」キャンペーンを推進していたケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイに対し、旭日大綬章を伝達した。また兼轄するブルンジ共和国との間で、2010年にオーギュスタン・ンサンゼ外務・国際協力大臣と、5億4000万円の環境プログラム無償資金協力「太陽光を活用したクリーンエネルギー導入計画」に関する書簡の交換をブジュンブラで行った。

同期入省

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著作

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  • 「海洋法会議第6会期」季刊海洋時報、1977年9月(第6号).

脚注

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  1. ^ 日中韓協力事務局長の就任について(外務報道官談話)外務省ホームページ
  2. ^ キャンパスアジア・セミナー 岩谷滋雄氏(元日中韓三国協力事務局長)講演会「北朝鮮の問題は日中間協力を促進させるか」神戸大学キャンパスアジア室
  3. ^ あなたも外交官ー国際交流・異文化理解のための基礎知識大学公開講座のセカンドアカデミー
  4. ^ 日墺協会役員等名簿2020年3月1日現在日墺協会
  5. ^ 産経新聞 2009/01/09 21:27
先代
小島誠二
内閣府遺棄化学兵器処理担当室長
第3代:2002年 - 2004年
次代
高松明
先代
申鳳吉
三国協力事務局長
第2代:2013年-2015年
次代
楊厚蘭