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松永直吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松永 直吉(まつなが なおきち、1883年明治16年)4月19日[1] - 1964年(昭和39年)7月28日[2])は、日本外交官。駐オランダ公使、駐オーストリア公使。

経歴

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佐賀県出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業、外交官及領事官試験に合格した[1]。外交官補として北京に赴任[1]天津領事官補、長沙領事官補、ハンブルク領事官補、ドイツ大使館三等書記官、シアトル領事外務書記官会計課長人事課長オタワ総領事ベルギー大使館参事官、外務省条約局長などを歴任[3]1930年(昭和5年)、駐オランダ公使に就任し、1933年(昭和8年)に駐オーストリア公使に転じた[3]

1937年(昭和12年)に退官した後は、紀元2600年記念日本万国博覧会事務次長を務めた[3]1949年(昭和24年)からは外務省研修所長を務めた[2]

家族

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松永幸子ー長女 松永宏一ー長男 松永久子ー次女

松永正直ー三男。大蔵省

脚注

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  1. ^ a b c 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、955頁。
  3. ^ a b c d e f g h 人事興信録 1941.

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。