繁沢学文
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 万治2年(1659年) |
死没 | 宝永元年12月7日(1705年1月2日) |
改名 | 忠三郎(幼名)→繁沢学文 |
別名 | 徳右衛門(通称) |
主君 | 毛利綱広→吉就→吉広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 毛利氏庶流繁沢家 |
父母 | 父:繁沢直久 |
子 | 芝貞 |
繁沢 学文(はんざわ さとふみ)は、江戸時代前期の長州藩士。父は繁沢直久。
生涯
[編集]万治2年(1659年)、繁沢直久の子として生まれる。寛文10年(1670年)に直久が死去し家督を相続したが、まだ幼少だったために寄組相当の御役儀なども勤められなかったので、御奏者役を命じられて御手廻組へ加えられた。
宝永元年(1704年)、46歳で死去した。子の芝貞が家督を継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻129「繁澤五右衛門」