織田信衡
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 天正2年5月7日(1574年6月6日) |
死没 | 寛文3年7月23日(1663年8月25日) |
改名 | 勝若丸(幼名) |
別名 | 三郎四郎、帯刀大夫 |
氏族 | 織田氏 |
父母 | 父:織田信正、母:恭姫(織田信広の娘) |
兄弟 | 信衡、的寿 |
妻 | 織田信孝の娘・賢子 |
子 | 信直 |
特記 事項 | 『系図纂要』による。織田信長の孫? |
織田 信衡(おだ のぶひら)は、安土桃山時代から江戸時代の武士。
『系図纂要』によると、織田信長の庶長子である織田信正の息子とされている[1]。別名は信平。妻は叔父の織田(神戸)信孝の娘・賢子とされる。
異母弟に的寿(見性寺2世、僧)がいる[1]。子に信直[1]。
来歴
[編集]織田信正の子として誕生。豊臣秀次に仕えた後、文禄4年(1595年)に出家して松雲軒と号したとされる[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “『系図纂要』画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2021年1月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『系図纂要』