繪島潟灘右エ門
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繪島潟 灘右エ門(えしまがた なだえもん、生年不明 - 1781年10月4日〈天明元年8月17日〉)は、江戸時代の元力士[1]。所属部屋は不明。
本名は井内とのみ伝わる[1]。身長206cm,体重180kgと巨漢だった。出身地は現在の徳島県阿波市(旧・阿波国阿波郡)。
最高位は東大関。
1778年3月初土俵(大関。但し全休していることや江戸時代にしては並外れた体格だったことから、看板大関としての出場だった可能性が高い)。翌1778年11月前頭筆頭に落ちて相撲を取るも、2勝7敗1休と散々な成績しか残せず、1779年以降は二段目生活だった。二段目でも通算2勝(13敗。但し記録が散佚しているので、詳細なことは不明)しか挙げることが出来ず、1781年8月17日現役のまま死去。生年は不明だが、初土俵から推算すると10代後半~20代の短い生涯だった。
幕内通算2場所(うち1場所は看板大関〈全休〉としての出場) 2勝7敗11休の成績を残した。
改名歴は1回ある:堂ノ浦 → 繪島潟