コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

美山町下平屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 京都府 > 南丹市 > 美山町下平屋
美山町下平屋
美山町下平屋の位置(京都府内)
美山町下平屋
美山町下平屋
美山町下平屋の位置
北緯35度16分11.49秒 東経135度34分16.61秒 / 北緯35.2698583度 東経135.5712806度 / 35.2698583; 135.5712806
日本の旗 日本
都道府県 京都府
市町村 南丹市
面積
 • 合計 1.576999158 km2
人口
2019年(令和元年)10月1日現在)[2]
 • 合計 91人
 • 密度 58人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
601-0732[3]
市外局番 0771(園部MA[4]
ナンバープレート 京都

美山町下平屋(みやまちょうしもひらや)は、京都府南丹市の地名。下平屋は旧美山町大字[5]

地理

[編集]

南丹市美山地区の中央部に位置している。大部分が山地で、低地を由良川が南西に流れ、京都府道19号園部平屋線がそれに並走している。

歴史

[編集]

町村制施行前は地内全域が下平屋村であった。蓮如上人より北陸布教をする際、地内の街道を通り、村々を真言宗日蓮宗等から改宗させたと記録されている。西乗寺は真言宗より改宗された。当村の庄屋末裔の屋敷には大塩平八郎の乱で、平八郎を幕府が手配した際に出した文書が残っている。江戸時代の大火で隣村の九鬼ヶ坂村が全滅し、その際に寺院の本尊を当村が、土地を上平屋村が譲り受けたという。平屋小学校(濟美)は当地の真宗本廟東本願寺系・真宗大谷派)西乗寺の寺子屋が発祥で、江戸時代から続いている。公立化後の初代校長には西乗寺の住職が就任した。史跡としては小林家住宅が残されている。この小林家住宅は - 1816年(文化13年)に建築された、野々村三十三か村の大庄屋として使用された家であり、1975年(昭和50年)6月23日に国指定文化財として指定されている[6]

沿革

[編集]

世帯数と人口

[編集]

2019年(令和元年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

  世帯数 人口
美山町下平屋 44世帯 91人

人口の変遷

[編集]

国勢調査による人口の推移。

2010年(平成22年) 119人 [7]
2015年(平成27年) 104人 [8]

世帯数の変遷

[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

2010年(平成22年) 49世帯 [7]
2015年(平成27年) 49世帯 [8]

交通

[編集]

道路

[編集]

地内の道路は、主要道路である京都府道19号園部平屋線と市道のみで、国道や高速道路は通っていない。

施設

[編集]

その他

[編集]

日本郵便

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 京都府南丹市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月1日閲覧。
  2. ^ a b 人口・世帯数集計表(令和元年10月1日現在)”. 南丹市 (2019年10月1日). 2019年10月1日閲覧。
  3. ^ a b 美山町下平屋の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 747.
  6. ^ a b 南丹市教育委員会 > 文化財一覧”. 南丹市教育委員会. 2012年6月19日閲覧。
  7. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01261-5 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 下巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01262-3 

関連項目

[編集]