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美濃脇坂藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

美濃脇坂藩(みのわきざかはん)[要出典]は、江戸時代初期に美濃国内で1万石を領した脇坂安信。安信が親族間の刃傷事件に巻き込まれ、1632年に改易された。

『藩史大辞典』などでは「脇坂安信領」として美濃国に配列している[1][注釈 1]

藩史

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脇坂安信は、「賤ケ岳の七本槍」に数えられる脇坂安治の三男[3][4]である。徳川家康に仕え、慶長年間[2][4]に美濃国内で1万石の知行を与えられた[3][4][5]

安信は娘を兄である脇坂安元(後述の事件当時は信濃飯田藩主)の養女としたうえで、池田長幸ながよし(同じく備中松山藩主)の次男・池田長純に嫁がせていた[3][6]寛永9年(1632年)4月、長幸の病が重くなり、親族が招集された[3]。安信は、安元の養子である実弟の脇坂安経[注釈 2]とともに池田長幸の屋敷に赴いた[3]

長幸は、嫡子である長常と不和であったため[7]、病弱であることなども理由に挙げて[8]、6万5000石の領知の半分(『徳川実紀』によれば過半[7])を二男の長純に分ける意向であった[9]。親族たちはこれに同意したが[10]、長幸の弟の池田長頼旗本3000石[8])だけは納得しなかった[10][3]。『徳川実紀』によれば長頼は、長男に遺領を残らず譲るべきであり、二男に過半を与えるのは道理が通らないと主張した[7]。親族は長頼を排除して評議に加わらせなかったため[10][7]、憤慨した長頼は会合の席に押しかけて[7]刃傷に及んだ[10][3]。脇坂安経は殺害され、安信も負傷した[3]

この騒動により、安信は改易処分となった[3]。5年後の寛永14年(1637年)、安信は没した[3]

歴代藩主

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脇坂家

1万石。外様

  1. 安信

領地

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『濃飛両国通史』(1924年)には、元和郷帳を出典として、美濃国内には山県郡方県郡大野郡の3郡内に6400石の知行地があったと載せる[11]

脚注

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注釈

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  1. ^ このほか、『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」でも美濃国に「脇坂安信領」として掲出している[2]
  2. ^ 脇坂安治の五男[6]
  3. ^ 現在の岐阜市山県岩付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[12]
  4. ^ 現在の関市戸田付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[13]
  5. ^ 現在の山県市高富付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[14]
  6. ^ 現在の関市千疋付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[15]
  7. ^ 現在の岐阜市山県北野付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[16]
  8. ^ 現在の岐阜市溝口付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[17]
  9. ^ 現在の岐阜市門屋付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[18]
  10. ^ 現在の岐阜市交人付近。『角川日本地名大辞典』では、脇坂安信の知行地であったと記す[19]
  11. ^ 現在の岐阜市鷺山付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[20]
  12. ^ 現在の揖斐郡大野町上磯付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[21]
  13. ^ 現在の揖斐郡揖斐川町谷汲神原付近。『角川日本地名大辞典』に脇坂領であったとの記述はない[22]

出典

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  1. ^ 『藩史大事典 第4巻 中部編Ⅱ 東海』目次”. 雄山閣. 2023年6月14日閲覧。
  2. ^ a b 『角川新版日本史辞典』, p. 1311.
  3. ^ a b c d e f g h i j 『寛政重修諸家譜』巻第九百三十七「脇坂」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.930
  4. ^ a b c 脇坂安信”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年6月14日閲覧。
  5. ^ 岐阜県教育会 1924, p. 63.
  6. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第九百三十七「脇坂」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.931
  7. ^ a b c d e 『大猷院殿御実紀』巻廿・寛永九年四月六日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第二編』p.240
  8. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十七「池田」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.428
  9. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十七「池田」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』pp.428-429
  10. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十七「池田」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.429
  11. ^ 『濃飛両国通史 下巻』, pp. 63–64.
  12. ^ 岩村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  13. ^ 戸田村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  14. ^ 高富村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  15. ^ 千疋村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  16. ^ 北野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  17. ^ 溝口村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  18. ^ 門屋村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  19. ^ 交人村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  20. ^ 鷺山村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  21. ^ 上磯村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。
  22. ^ 神原村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年6月18日閲覧。

参考文献

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