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翁島村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おきなじまむら
翁島村
天鏡閣
天鏡閣
廃止日 1955年3月1日
廃止理由 新設合併
猪苗代町、翁島村千里村月輪村吾妻村猪苗代町
現在の自治体 猪苗代町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
耶麻郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 千里村、猪苗代町、磐梯村河沼郡日橋村会津若松市
翁島村役場
所在地 福島県耶麻郡翁島村大字三ツ和
座標 北緯37度32分19秒 東経140度04分19秒 / 北緯37.53872度 東経140.072度 / 37.53872; 140.072座標: 北緯37度32分19秒 東経140度04分19秒 / 北緯37.53872度 東経140.072度 / 37.53872; 140.072
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翁島村(おきなじまむら)は、福島県耶麻郡にかつて存在したである。

地理

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村は猪苗代湖の北岸に位置し、現在の猪苗代町の南西部にあたる。

歴史

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1889年、町村制の施行に伴い、三ッ和村・長田村・磐根村・翁沢村の4か村が合併して発足した。村名は、村域に含まれる猪苗代湖上唯一の島・翁島(おきなじま、旧翁沢村域)に由来する。

1899年、磐越西線が開通し、翁島駅(おきなしまえき)が開設された。

1908年には村内に有栖川宮の別邸(翁島別邸、天鏡閣)が建設された。有栖川宮威仁親王没(1913年)後、天鏡閣は高松宮の所有に移り、第二次世界大戦後の1952年に福島県に払い下げられている。天鏡閣には、皇太子時代の大正天皇が訪問したことがあるほか、1924年には当時の皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)が新婚旅行で訪問している。皇族が利用する関係で、最寄り駅である翁島駅には貴賓室が設けられた。

この村の出身者には野口英世がいる。野口は1876年、(翁島村発足以前の)三ツ和村三城潟に生まれた。1915年、野口は米国から15年ぶりに帰国し、故郷の地を踏んでいる。

1947年8月18日昭和天皇の戦後巡幸があり、村内の緊急開拓農地を視察、高松宮別邸(前出)に宿泊した[1]

村域の変遷

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変遷表

1868年
以前
明治8年 明治22年
4月1日
昭和30年
3月1日
現在
三城潟村 三ツ和村 翁島村 猪苗代町 猪苗代町
新在家村
五十軒村
大在家村 長田村
釜井村
烏帽子小屋村
東真行村
南真行村
西真行村
西久保村 磐根村
桜川村
行津村
土田新田村
袋新田村
本町の一部
新町上分の一部
蟹沢村 翁沢村
金滓沢新田村
戸ノ口村
三本木新田村

大字

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  • 三ツ和(みつわ)
  • 長田(おさだ)
  • 磐根(いわね)
  • 翁沢(おきなざわ)

人口・世帯

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人口

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総数 [単位: 人]

1889年(明治22年) 2,094
1907年(明治40年) 2,448
1920年(大正 9年) 2,332
1947年(昭和22年) 3,313

世帯

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総数 [単位: 世帯]

1920年(大正 9年) 346
1947年(昭和22年) 518

経済

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば翁島村の篤農家は、「宇南山重郎、山内清作、鈴木藤八、渡部佐一、五十嵐勝司」などである[2]

交通(廃止直前)

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旧翁島駅舎(猪苗代緑の村に移築保存)

鉄道

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道路

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著名な出身者

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  • 野口シカ - 野口英世の母、産婆。三城潟村生まれ。
  • 野口英世 - 医学者。1876年(明治9年)、三ツ和村三城潟生まれ。

脚注

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  1. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、96頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』414頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年1月27日閲覧。

参考文献

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関連項目

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