胡桃沢源人
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胡桃沢 源人(くるみさわ げんじん、1902年(明治35年)8月6日 - 1992年(平成4年)3月23日)は、日本の洋画家である[1][2]。本名は源市[1][2]。
経歴・人物
[編集]長野県松本市の生まれ[1][2]。矢野橋村が設立した大阪美術学校に入学し[1][2]、在学中の1928年(昭和3年)に自身の作品が帝展に初入選される[1]。1929年(昭和4年)に卒業後は[2]、斎藤与里の門人となった[1][2]。1935年(昭和10年)には東光会の会員となり[1]、1941年(昭和16年)及び翌1942年(昭和17年)には2年連続で新文展に出品され特選となる[2]。
その後は大阪美術学校の後輩だった日本画家の融紅鸞と結婚し、1964年(昭和39年)には浪速芸術大学(現在の大阪芸術大学)の教授となり[1]、会員だった東光会の理事長や大阪市立美術研究所の講師も務めた[2]。
作品
[編集]- 『小犬』
- 『秋苑』
- 『鳥禽舎』