コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

胡桃沢源人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

胡桃沢 源人(くるみさわ げんじん、1902年明治35年)8月6日 - 1992年平成4年)3月23日)は、日本洋画家である[1][2]。本名は源市[1][2]

経歴・人物

[編集]

長野県松本市の生まれ[1][2]矢野橋村が設立した大阪美術学校に入学し[1][2]、在学中の1928年(昭和3年)に自身の作品が帝展に初入選される[1]1929年昭和4年)に卒業後は[2]斎藤与里の門人となった[1][2]1935年(昭和10年)には東光会の会員となり[1]1941年(昭和16年)及び翌1942年(昭和17年)には2年連続で新文展に出品され特選となる[2]

その後は大阪美術学校の後輩だった日本画家融紅鸞と結婚し、1964年(昭和39年)には浪速芸術大学(現在の大阪芸術大学)の教授となり[1]、会員だった東光会の理事長や大阪市立美術研究所の講師も務めた[2]

作品

[編集]
  • 『小犬』
  • 『秋苑』
  • 『鳥禽舎』

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 胡桃沢源人”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 胡桃沢 源人”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2023年8月16日閲覧。

外部リンク

[編集]