脱亜思想
脱亜思想(だつあしそう)とは、アジアから脱却しようとする思想のこと。
国語国字論争
[編集]中華文明から脱却し西洋文明に入るために漢字を廃止するアイデアに関して国語国字論争が起こった。例えば、1866年(慶応2年)に前島密は漢字を廃止し平仮名だけで日本語を表記する建白書『漢字御廃止之議』を徳川慶喜に上申したとされる。また、西周は1874年(明治7年)に『明六雑誌』創刊号に掲載した「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」において、「洋字」、すなわちアルファベットを用いたローマ字で日本語を表記すべきと主張した。森有礼は国語英語化を主張した。
福澤諭吉
[編集]脱亜思想を示した著作としては、福澤諭吉の『学問のすゝめ』や『文明論之概略』などが代表的である。
福澤諭吉は『福翁百話』の第34話「半信半疑は不可なり」において、次のように脱亜思想を説明している。
我輩の多年唱導する所は文明の實學にして支那の虚文空論に非ず或る點に於ては全く古學流の正反對にして之を信ぜざるのみか其非を發き其妄を明にして之を擯けんとするに勉むる者なり此一段に至りては和漢古今の學者に對しては勿論、孔孟の言と雖も通過を許さゞる者なり即ち我輩は西洋文明の學問を脩め之を折衷して漢學説に附會せんとする者に非ず古來の學説を根底より顚覆して更らに文明學の門を開かんと欲する者なり學問を以て學問を滅さんとするの本願にして畢生の心事は唯こゝに在るのみ
(私が何年も主張してきたのは西洋文明の実用的学問であり、支那の空論ではない。ある点では古学説の正反対であって、これを信じないばかりでなく、間違いを明らかにして排斥しようと努めてきた者なのである。この点では日中の過去・現代の学者はむろん、孔子孟子さえその通り受け入れることはできない。自分は西洋の学問を修めて漢学との折衷を唱える者ではなく、古来の学説をそっくり転覆して「(西洋)文明学」を始めようとする者である。ある学問である学問を滅ぼす、このことが本願であり、一生のテーマなのである)
「脱亜思想」と「脱亜論」とは混同されがちであるが、「脱亜思想」は一般的な思想の名前であり、「脱亜論」は新聞『時事新報』の社説の名前であることから、慶応大学出身者の平山洋は福澤を擁護する点から両者を区別して扱う必要があるとした[1][2]。
慶応大学院出身者の的場昭弘は福澤について「福澤が、アジア人に文明を学び西欧人に抗する気概を持ってほしいと願う点で、たんなるアジア蔑視論者ではない」としつつ「日本人のアジア蔑視論の淵源に属するといってよい」ことを指摘。そして脱亜入欧については、アジアの隆盛の昨今では西欧からもアジアからも孤立し[3]、さらにアジアで唯一の経済的先進国となった日本が、また突然、成長と発展に逆噴射し、失われた30年を経て衰退し続けることになったことは「容易には理解しがたい謎の行動」とした[4]。
脚注
[編集]- ^ 平山洋の仕事(匿名個人サイト「blechmusik.xii.jp」) 「朝鮮よ、滅亡せよ」と福沢諭吉は言ったのか?、 福澤諭吉「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の6条件、「福沢諭吉は『アジア侵略論』者と言われたら」、平山洋『福沢諭吉の真実』文藝春秋〈文春新書394〉、2004年8月20日、194-195頁頁。ISBN 4-16-660394-9。
- ^ 藤野寛 日本哲学、こと始め
- ^ 脱亜入欧に没頭し西欧を超えられなくなった日本 世界各国の歴史を無視し憎悪を向ける日本人の悪弊 | 歴史 | 東洋経済オンライン
- ^ 日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告 | 歴史 | 東洋経済オンライン
参考文献
[編集]- 丸山眞男「福沢諭吉の儒教批判」、松沢弘陽編 編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波書店〈岩波文庫 青N104-1〉、2001年6月15日、7-35頁頁。ISBN 4-00-381041-4。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 福沢諭吉『福翁百話』時事新報社、明治30年(1897年)7月(近代デジタルライブラリー)