自殺サイト殺人事件
自殺サイト殺人事件 | |
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場所 | 日本:大阪府河内長野市 |
標的 | 自殺志願者 |
日付 | 2005年 |
概要 | 自殺志願者と自殺サイトを通じて知り合い、「一緒に死のう」などと誘い込み、殺害 |
攻撃手段 | 絞殺 |
攻撃側人数 | 1名 |
死亡者 | 3名 |
犯人 | 男M |
動機 | 快楽殺人 |
対処 | 死刑(執行済み) |
管轄 |
大阪府警察河内長野警察署 大阪地方検察庁 |
男M | |
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個人情報 | |
生誕 |
1968年8月8日 日本・大阪府 |
死没 |
2009年7月28日(40歳没) 日本・大阪府大阪市都島区友渕町(大阪拘置所) |
死因 | 絞首刑 |
殺人 | |
犠牲者数 | 3人 |
犯行期間 | 2005年2月19日–2005年6月10日 |
国 | 日本 |
州 | 大阪府 |
逮捕日 | 2005年8月8日 |
司法上処分 | |
刑罰 | 死刑(大阪地方裁判所) |
有罪判決 | 殺人罪・死体遺棄罪など |
判決 | 死刑(大阪地方裁判所) |
自殺サイト殺人事件(じさつサイトさつじんじけん)とは、2005年(平成17年)2月に行方不明であった女性の遺体が大阪府河内長野市にある河川敷にて発見されたのを発端として発覚した殺人事件。8月5日に当時堺市に住んでいた容疑者の男が、大阪府警察に逮捕された[1][2]。
当初、殺害容疑はこの女性1人だけだったが、容疑者の供述によりいじめ被害者とされる男子中学生や男子大学生の殺害も発覚。その後の捜査でこの2名の遺体が山中で発見された。うち男子大学生の遺体遺棄現場は第1被害者の女性のそれと全く同じ場所のダム湖であって、遺体発見現場としては数キロメートルしか離れていなかった。
事件の概要
[編集]2005年(平成17年)2月19日、派遣の修理工の男Mはインターネットの自殺サイトを利用して知り合った女性A(当時25歳)を同日午後8時30分頃、河内長野市加賀田の山中に連れ出し、停車中のレンタカー内でAの手足を縛った上に鼻と口などを複数回塞ぐなどして繰り返し失神させた[3]。その後、午後10時頃にAの鼻と口を塞いで窒息死させ、衣服をはぎ取った後にAの死体を近くの河原に掘った穴に遺棄した[4][5][3]
また、2005年(平成17年)5月21日、自殺サイトを利用して知り合った神戸市北区の中学3年の男子生徒B(当時14歳)を同日午後2時頃、JR南田辺駅前に誘い出し、午後3時頃、泉南郡内の路上に停車中のレンタカー内でBの手足を縛った上に鼻と口などを複数回塞ぐなどして繰り返し失神させた[6]。その後和泉市へ移動し、午後5時頃にBの鼻と口を塞いで窒息死させ、衣服をはぎ取った後にBの死体を和泉市内の山林に遺棄した[7][6]。さらには、Bを殺害後、MはBの遺族から現金300万円を脅し取ろうと計画。5月29日の午後0時48分から午後1時09分頃、誘拐と見せかけ河内長野市内の公衆電話とBの携帯電話から脅迫電話をかけたが、現金を得ることはできなかった[8][6]。その腹いせとして、MはBを殺害したことを遺族に告白したものの、半年近くも発覚することはなかった。
その他、2005年(平成17年)6月10日、自殺サイトを利用して知り合った東大阪市の男子大学生C(当時21歳)を河内長野市内の空き地へ同行させた後、午後5時30分頃、停車中のレンタカー内でCの手足を縛った上にポリエチレン製袋片を貼り付けたタオルで鼻と口などを複数回塞ぐなどして繰り返し失神させた[9]。その後、午後7時頃にCの鼻と口をタオルで塞いで窒息死させ、衣服をはぎ取った後にCの死体を河内長野市内の道路脇下の崖下山林に遺棄した[10][9]。
Mは人の苦しむ姿を見て興奮するという性癖を持っており、過去にも高校・大学時代に白色スクールソックスを着用した男性の学友の首を絞めたり(後述、ともに無期限停学処分となるも揉み消しにより公にされず)、ゆうメイト時代にいじめに復讐するために加害者に当たる同僚兼飲み仲間の首を絞めて負傷させたり(懲役1年、執行猶予3年の有罪)[9]、通りがかりの人などにいきなり襲いかかり口を塞いだ(執行猶予付き有罪→懲役10ヶ月)[9]として逮捕されたという暴行または傷害の前科が3度、首絞め路上強盗や薬品を染み込ませた布で通行人の鼻や口などを塞ぐなど同様の行為を小学校高学年の初犯から今回の殺人事件で逮捕されるまで50件以上行っていたことが判明[9]。IQは128と高く、30年以上前の出来事も絵画のように細かく描写することもできた[11]。
Mがもがき苦しむ人を見て興奮し、もしくはそれと関連して衝動的に暴行を加えないと情緒不安定に陥るという各性癖へと走るきっかけとなったのは、少年時代に読んだある連続快楽殺人を主題とした推理小説の中で、犯人が麻酔薬を染み込ませた布を少女の鼻に押し当てて失神させる場面に性的興奮を感じたのが始まりとされている[12][13]。また、2002年(平成14年)1月頃、犯行予告文ともとれる自作の推理小説を自らのホームページに掲載している[12]。この小説を掲載したことをきっかけに人を窒息させて死に至らしめることで快楽を得ようという性的欲求を抱くようになった[12]。執行猶予取り消し分と併せて2年6月の判決に対し、2年弱の刑期を終えて2004年(平成16年)3月29日に出所後、Mは修理工となったが、3ヶ月程経つと過去に起こした事件を思い出すだけでは我慢できず、窒息プレイをしたいと考えるようになった[14]。そこで、白色スクールソックスを着用したファーストフード店員を帰宅途中に襲撃して窒息行為を繰り返した後、窒息死させようと計画したが、死体の処理方法が思い付かず断念した[15]。また、インターネットのSMサイトに窒息行為の相手を募集して性的欲求を満たそうとしたが、適当な相手がおらず、こちらも断念した[16]。
そういった中で、2004年(平成16年)12月頃に自殺系サイトに目をつけたMは、多重債務やいじめなどを苦にした自殺志願者を「集団自殺しませんか」と言葉巧みに騙し、なぶり殺しにすることで自殺を「手伝い」、自らは死刑になる形で後を追う、という「無理心中目的の説得ずくの快楽殺人」という手口に及んだ[16]。
Mの手口は巧妙で、自分へ警察の捜査が及ばないように被害者を騙して自殺サイトの使用履歴をパソコン上から削除させたり、「玄人(=自殺未遂経験者)からの助言」として遺族宛てに遺書を書かせたりし、殺害についても被害者を苦しめるために何度も被害者の口を塞いで失神させては蘇生させたり、ラップフィルムやゴム手袋を利用して証拠を残さないようにしていたりと悪質であると言われている[5][17]。更には被害者を殺害する様子を写したビデオテープや、被害者の苦しむ声が録音されたテープも自宅倉庫から押収された[注 1][18]。
裁判
[編集]2005年(平成17年)12月2日、大阪地裁で初公判が開かれ、Mは起訴事実を全面的に認めた[19]。
Mが受けた「一審の初公判」はこれで人生4度目である。 初公判の冒頭陳述で、Mには白色スクールソックスに興奮するという、もう一つの性癖があることが明らかにされた[19]。この性癖のきっかけとなったのは、中学生時代に教育実習の女子大生を窒息させるという妄想にふけりながら自慰行為を繰り返す過程で、彼女が着用していた白色スクールソックスも性的興奮の対象となったためとされている[12][20]。その性癖のために、Mは、大学生時代に、白色スクールソックスを着用した男性の友人を見て欲求を抑えられなくなり、襲って首を絞めた[注 2]ことが明らかになり金沢工業大学を1年2ヶ月で中退(成績不良のため留年した2年次の春、事件発覚[注 3]による無期限停学処分前に自主退学)している[注 4][12]。本件においては、犯行の際に全ての被害者に白色スクールソックスを履かせて興奮を高めていた[16]。
なお、上述の通り殺傷事件の被害者が全員白色スクールソックスを履かされていたこと、ゆうメイト時代に首を絞めた同僚が好んで白ソックスを履いていたことが判明して以降、大阪拘置所内に「白色スクールソックスは禁止」というドレスコードができた。
第2回公判では、Mが出所後に購入した電子手帳に「実行記録」と名付けたデータを保存していた事実が明らかにされた。「実行記録」には、「男子中学生、私服、窒息麻酔」などと被害者の特徴や犯行内容を記録していた。「実行記録」には、殺人事件の被害者以外にも首絞め路上強盗など通り魔的犯行の被害者と見られる65人についてのデータも残されていた。もし仮にこれらが「前年に出所してからの犯行」であるとすれば、余罪は100件以上にのぼるという。以後の被告人質問における「人を殺した時の感触を鮮明に覚えており、忘れたくても忘れることができず、現在に至っても他人をいたぶらないと情緒不安定になる」との発言が示すとおり、実際、第3回公判以後にテープを再生するなどして証拠資料の提示の段階で凶行の詳しい態様が説明された日にも、拘置所に帰ってから衝動的にそこに居合わせた未決囚仲間や看守に殴り掛かるという暴力沙汰を起こしている。
第4回公判の被告人質問では、警察及び検察の取調べの段階では否認していた自殺願望について、Mは「これまでに3~4回自殺未遂をしたが死にきれなかったため、苦し紛れに今回の犯行を思いついた」と真の殺害動機を述べる形で「ある」と供述を翻している(控訴直後に弁護側に当てた遺書にも同様のことが書かれている)。この次の公判後から精神鑑定が行われた。
判決・その後
[編集]2007年(平成19年)2月20日、論告求刑公判で大阪地検はMに死刑を求刑した[注 5][21]。その際に被害者遺族も求刑に参加できるようにする、という初の試みがなされており、また、M自身も最終弁論において死刑になることを望んでいる。
2007年(平成19年)3月28日、大阪地裁で判決公判が開かれ、Mに求刑通りの死刑判決を言い渡した[22]。その理由として、水島和雄裁判長は、以下のことを挙げた。
- 被害者が被告と同じ自殺志願者であったことについては「直前に、被害者自身が殺していいという意思表示をした」という「刑法202条(自殺幇助及び同意・嘱託・承諾殺人、7年以下の懲役)を満たす、被告側に有利となるような要件」については、唯一の物証であるテープの冒頭部分を見る限りでは「あった」と立証できるものの、「練炭による安らかなる死、という偽りの殺害方法」を提示して誘拐しておきながら、「リンチもしくは拷問によって」これまでに数回自殺を図ったが死にきれなかったために味わった被告自身の「生き地獄の責め苦」を「自らの性的欲望を満たす意味合いも兼ねて被害者にも強要」し、被害者自身が「殺され方を選択できる余地がなく」本人の望んでいた、あるいは期待していた「最初に提示されていた練炭による安らかなる死」とは180度異なっており、同じ自殺志願者仲間のやるようなこととは到底思えず、結果の重大性を左右できるようなものでもありえないため、前述の「刑法202条に基づいた、死刑回避できるような減軽事由」に相当しかねること[23]。
- 男性2人の殺人については自首が成立するとともに、遺族に対しては反省や謝罪の言葉をしきりに口にしており、最終弁論の最後においては土下座もしているという言動を見る限り、法律の上では弁護側が主張したとおりの「減軽事由」に相当するものの、それ以前に被告は罪状の過少申告をして減軽を勝ち取ったり、また今回の事件について言えば下準備や証拠隠滅工作を重ね、完全犯罪をほぼ達成できていたという事実を見るに、完全責任能力を有していたばかりか、過去の連続(強盗)傷害罪の再犯・併合罪加重が立ちはだかっているという事実に加え、第1の殺人について言えば準婦女暴行致死罪が成立するような状況だったとの事実認定ができる以上は、自首や謝罪をしたとはいえ「死刑回避できるような減軽事由」に相当しかねること[24]。
- 1年以上にわたって行われた精神鑑定によると、被告人は両親、特に元警察官である父親からは独自の逮捕武術から派生した窒息によるリンチ・虐待を受けており、これが被告の言う「4つの性癖(白色スクールソックス、窒息、唯一効力のある「精神安定剤」が他人をいたぶることであること、そのことを苦にしたことで生じた自殺願望)」の根本となっていた。この事実を察するに、元々うつ病で騙されやすい体質の被害者全員はもちろんのこと、似たような境遇である被告もお互い何の非もなく悲劇的であり同情に値するが、この「4つの性癖」によって、本判決までに120人以上を殺傷して裁判所と塀の外を行ったりきたりして「非行歴も含めて、前科5犯の再犯者(しかも前科の内容は5つとも全く同じもの)」となっているという事実を見る限り非常に根深いものがある以上、手のほどこしようがないと断言することができ、さらには今回の殺害動機とも因果関係があると立証できた時点で、矯正・更生の見込みは極めて絶望的であり、最終弁論において被告本人自身もそうであると認めている以上、弁護側のみが主張した「死刑回避できるような減軽事由」に相当しかねるということは明白である。また被害者遺族及び関係者の処罰感情の峻烈さと相俟って、死をもって償わせるしか被害者・被告など当事者全員を救う方法はないこと[注 6][25]。
弁護側は即日控訴したものの[22]、Mが2007年7月5日付けで弁護人の控訴を取り下げたため、死刑が確定した。
2007年7月7日、控訴取り下げの無効を求める審理開始の弁護人の申し立てを大阪高裁は受理した。しかし、7月18日の接見でMが改めて死刑を受け入れる意向を強く示したことから、弁護人はMの意向を汲み取り、控訴取り下げの無効を争わないことにした。このため、Mの死刑確定が維持されることとなった。
Mは公判中の2006年(平成18年)12月頃から長谷川博一・東海学院大学教授と接見を始め、死刑判決後は約2ヶ月間にわたり集中的に接見、主に心理面や自身の性癖などについて分析を依頼していた[11]。長谷川はMが性癖を持つに至ったきっかけとして「尊敬していた父親から虐待に近い暴力を受け、人を窒息させることで、自分を父親に同一化させるようになったのだろう」と分析している[11]。
2009年(平成21年)7月28日、森英介法務大臣(当時)の執行命令書捺印により、Mの死刑が執行された[26]。死刑確定から2年という早さでの執行であった。同日には大阪姉妹殺害事件の死刑囚他1名の死刑も執行されている[26]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 男性2人の殺人について言えば、これらは「残された唯一の物証」と断定することができ、第3回以降の公判の中で上映されている
- ^ 実際には、首を絞めたつもりが顎を締めており、振り解いた被害者の反撃に遭い未遂に終わっている。また、一部のサイトに書かれている「気絶した」は誤り。実際の被害は無いため、訴えることも出来ず、被害者はとても困ったという。
- ^ 被害者宅への迷惑電話や器物破損の疑いで捜査が及んだ。中学生宅への脅迫電話と手口が一致する。
- ^ 高校時代にも同様の事件を起こしてはいるものの、転校するなどしてなんとか卒業することはできた
- ^ その際、大阪地検の検事は「被害者は全員、ただ自殺願望が強固過ぎただけで、別に犯行を持ちかけていたわけではない。よって被害者全員何の罪もなかったことは明白だ」とその理由を述べている
- ^ 裁判長は、この連続リンチ殺人事件は、虐待を受けたことによって生じた犯人側の「難病」に原因があったとの立証ができると事実認定した。H13.12.6およびH18.1.17
出典
[編集]以下の出典において記事名に死刑判決を受けた加害者の実名が使われている場合、この箇所を日本における収監中の死刑囚の一覧との表記矛盾解消のためイニシャルとする
- ^ “自殺サイト連続殺人事件”. 東奥日報. (2005年12月2日). オリジナルの2006年4月25日時点におけるアーカイブ。 2007年4月17日閲覧。
- ^ “「自殺しよう」ネットで呼び出し 女性殺害容疑の男逮捕”. 朝日新聞. (2005年8月5日) 2005年8月8日閲覧。
- ^ a b 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 1.
- ^ “「ほかに2人殺した」容疑者供述 自殺サイト殺人”. 朝日新聞. (2005年8月6日) 2005年8月8日閲覧。
- ^ a b “自殺サイトで誘い殺害、36歳男逮捕…「3人」自供”. 読売新聞. (2005年8月6日) 2005年8月8日閲覧。
- ^ a b c 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 2.
- ^ “自殺サイト殺人、遺体の一部発見…男子中学生か”. 読売新聞. (2005年8月7日) 2005年8月9日閲覧。
- ^ “自殺サイト殺人被害者宅に脅迫電話、M容疑者か”. 読売新聞. (2005年8月8日) 2005年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 3.
- ^ “自殺サイト殺人、3人目の遺体を発見 男子大学生か”. 朝日新聞. (2005年8月7日) 2005年8月9日閲覧。
- ^ a b c “【衝撃事件の核心】「白い靴下」「他人の窒息」に興奮する性癖はなぜ生まれたのか~処刑された自殺サイト殺人のM死刑囚 (3/3ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年8月2日) 2009年8月5日閲覧。
- ^ a b c d e 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 5.
- ^ “【衝撃事件の核心】「白い靴下」「他人の窒息」に興奮する性癖はなぜ生まれたのか~処刑された自殺サイト殺人のM死刑囚 (1/3ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年8月2日) 2009年8月5日閲覧。
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 6.
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 6,7.
- ^ a b c 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 7.
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 7,8,14,16.
- ^ “自殺サイト殺人、「遺体を撮影・保存」と容疑者供述”. 読売新聞. (2005年8月6日) 2005年8月8日閲覧。
- ^ a b “自殺サイト殺人初公判、M被告が起訴事実認める”. 読売新聞. (2005年12月2日) 2005年12月4日閲覧。
- ^ “【衝撃事件の核心】「白い靴下」「他人の窒息」に興奮する性癖はなぜ生まれたのか~処刑された自殺サイト殺人のM死刑囚 (2/3ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年8月2日) 2009年8月5日閲覧。
- ^ “自殺サイト殺人で死刑求刑「犯罪史上例ない残酷さ」”. iza. (2007年2月20日). オリジナルの2007年2月21日時点におけるアーカイブ。 2007年4月17日閲覧。
- ^ a b “自殺サイト悪用連続殺人、M被告に死刑判決”. 読売新聞(ウェブ魚拓によるキャッシュ). (2007年3月28日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2009年7月29日閲覧。
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 18,19.
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 7, 8,14,16,22.
- ^ 大阪地方裁判所 第6刑事部 2007, p. 10,11,22,23,24.
- ^ a b “死刑囚3人の刑執行 裁判員制度開始後初めて”. 47NEWS. (2009年7月28日). オリジナルの2009年7月31日時点におけるアーカイブ。 2009年7月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 刑事裁判の判決文
- “平成19年3月28日宣告 平成17年(わ)第4843号 殺人,死体遺棄,未成年者誘拐,脅迫事件” (PDF). 大阪地方裁判所 第6刑事部 (2007年). 2024年11月10日閲覧。
関連項目
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