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芦沢真矢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芦沢優から転送)
芦沢 真矢
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県中巨摩郡櫛形町
生年月日 (1958-01-01) 1958年1月1日(66歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1975年 ドラフト5位
初出場 1978年5月17日
最終出場 1987年10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

芦沢 真矢(あしざわ しんや、1958年1月1日 - )は、山梨県中巨摩郡櫛形町出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ。選手時代の登録名は「芦沢 優」(あしざわ まさる)。

役者の芦澤梨沙(作家名義:沙川りさ)は娘[1]

来歴・人物

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プロ入り前・プロ入り後

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巨摩高では、四番・捕手として1975年夏の甲子園予選北関東大会決勝に進出。群馬の強豪である樹徳高を破って高校初の甲子園出場を果たすが、選手権大会では2回戦(初戦)で三重高に敗退[2]

同年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。

1978年に一軍へ初昇格し、同年は6試合に先発マスクを被る。その後も大矢明彦の控えとして起用される。

1981年には大矢の衰えや、二番手捕手であった八重樫幸雄の不振もあって30試合に先発出場を果たす。

1983年からは正捕手に定着した八重樫の控えとなる。

1986年には秦真司が台頭、出場機会が減った。

1988年限りで現役引退[3]

引退後

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引退後は広島東洋カープに移籍し、ブルペン捕手1989年 - 1990年)→一軍バッテリーコーチ補佐(1991年 - 1992年)→二軍コーチ補佐(1993年 - 1994年)→一軍コーチ補佐(1995年)→一軍ブルペンコーチ(1996年 - 1997年)を歴任。

1998年から2000年までは家族を広島に残し、台湾大聯盟台中金剛でバッテリーコーチを務めた[4]

2001年に山梨へ帰郷。

2004年までの約4年間は産業廃棄物の処理センターに勤務。

2005年四国アイランドリーグ香川オリーブガイナーズ初代監督に就任。

2006年にはチームを優勝へと導いたが、同シーズン限りで監督を退任。その後は同球団のチームアドバイザーとなる。

2007年には新たに発足した北信越BCリーグ石川ミリオンスターズ運営部長も兼任した。2007年のシーズンはこの2つのチームがそれぞれのリーグで優勝を果たし、グランドチャンピオンシップを争う形になったが、芦沢は石川の運営部長として参加した(結果は香川が優勝)。

2008年、BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督に就任し、2年ぶりに現場に復帰。2008年7月12日、前年最下位のチームを上信越地区の前期優勝に導き、改めて指導力を示した。後期は地区2位。後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズは2連敗し、年間プレーオフ進出はならなかった。

2009年は前後期とも2位となり、前後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズ(群馬は1勝すれば優勝)に敗退し、前年に続いて地区年間優勝を逃した。

2010年は前期地区3位、後期地区2位の成績で通算勝率2位。3年連続の出場となった前後期優勝の群馬との地区優勝決定シリーズは前年に続いて敗退し、地区年間優勝はならなかった。2010年シーズン限りで契約満了に伴い退団[5]2011年横浜ベイスターズ一軍ブルペンコーチを務めた。

退任後は工事現場での勤務を経験。

2014年学生野球資格を回復し、日本航空高等学校の臨時コーチを務めた。

2015年2月に啓明学園高等学校の監督に就任した[6]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1978 ヤクルト 17 27 25 2 3 1 0 0 4 0 0 0 1 0 1 0 0 6 0 .120 .154 .160 .314
1979 6 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .000 .167 .000 .167
1980 17 20 19 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .211 .250 .211 .461
1981 81 162 153 14 36 8 1 3 55 21 0 1 4 0 4 0 1 37 3 .235 .259 .359 .619
1982 31 41 36 7 4 0 0 1 7 4 0 0 0 0 5 0 0 9 2 .111 .220 .194 .414
1983 13 22 21 2 6 1 0 0 7 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .286 .318 .333 .652
1984 37 41 38 2 6 2 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 2 7 1 .158 .220 .211 .430
1985 36 41 37 3 11 4 0 1 18 7 0 0 1 0 2 0 1 10 0 .297 .350 .486 .836
1986 31 56 50 3 10 1 0 0 11 1 0 0 3 0 3 0 0 11 1 .200 .245 .220 .465
1987 11 19 19 0 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .211 .211 .211 .421
通算:10年 280 435 403 33 84 17 1 5 118 38 0 1 9 0 19 0 4 93 8 .208 .251 .293 .544

年度別守備成績

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年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1978 17 13 10 3 .231
1979 3 3 1 2 .667
1980 3 0 0 0 ----
1981 41 19 14 5 .263
1982 10 5 4 1 .200
1983 7 4 0 0 .000
1984 16 6 4 2 .333
1985 19 19 13 6 .316
1986 23 24 18 6 .250
1987 10 8 7 1 .125
通算 149 101 75 26 .257

背番号

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  • 29 (1976年 - 1988年)
  • 97 (1989年 - 1997年)
  • 88 (1998年 - 2000年)
  • 3 (2005年 - 2006年、2008年 - 2010年)
  • 89 (2011年)

登録名

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  • 芦沢 優 (あしざわ まさる、1976年 - 1988年)
  • 芦沢 真矢 (あしざわ しんや、1989年 - )

脚注

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  1. ^ 渡辺弥生「新入社員研修・司会業・講演:ヤクルトOB芦沢優さん 娘さんが作家デビュー」『今より輝く 心と言葉の使い方 〜プロ野球名選手と中村天風の教えから〜』2020年4月28日。2024年9月13日閲覧
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 一般職の経験から痛感した「人間力」の大切さ 元プロ・啓明学園の芦沢監督歩んだ紆余曲折の道”. 高校野球ドットコム (2019年2月15日). 2021年5月31日閲覧。
  4. ^ 芦沢真矢- 台灣棒球維基館
  5. ^ http://www.niigata-albirex-bc.jp/news.php/archives/id/492/[リンク切れ]
  6. ^ 啓明学園・芦沢真矢監督 「努力を発揮してほしい」”. 月刊高校野球チャージ! (2021年9月14日). 2021年10月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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