杉村繁
東京ヤクルトスワローズ 打撃コーチ #74 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県高知市朝倉[1] |
生年月日 | 1957年7月31日(67歳) |
身長 体重 |
170 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1975年 ドラフト1位 |
初出場 | 1977年4月6日 |
最終出場 | 1987年7月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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杉村 繁(すぎむら しげる、1957年7月31日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。現在は東京ヤクルトスワローズ一軍打撃コーチ。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]高知高等学校では、170cm未満の小柄な体格ながらスラッガーとして活躍し「中西二世」の異名をとり、また東海大相模高校の原辰徳とは「西の杉村、東の原」と並び称された[2]。甲子園には3回連続出場。1974年春の選抜に1年上のエース高橋修二を擁し出場。2回戦で永川英植を擁する優勝候補の横浜高と対戦。高橋と永川が互いに無失点で投げ合うが、延長12回に中越え適時打を放ちサヨナラ勝ち、一躍注目を集めた。この大会では準々決勝に進むが和歌山工に敗退した[3]。同年夏の選手権は2回戦(初戦)で中京商の原田末記に抑えられ惜敗[4]。
3年生となった翌1975年の春の選抜では左腕エース山岡利則(近大 - 大昭和製紙)の好投もあって順調に勝ち進み、準決勝で報徳学園に辛勝[3]。決勝では東海大相模高と激突、5-5で迎えた延長13回表に決勝打となる三塁打を放ち選抜初優勝に導く[5]。漫画家の水島新司はこの時期の杉村をドカベンの登場人物である微笑三太郎のモデルとしている[6]。同年夏は県予選準々決勝で玉川寿(慶大 - 日本石油)らのいた土佐高に敗れ、甲子園には届かなかった。
同年暮のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名され、入団した[1]。
ヤクルト時代
[編集]1977年、監督の広岡達朗の指令でコンパクトな打撃に改造、更に守備を鍛えられ、その甲斐もあって主に遊撃手として32試合に出場。
1979年には、5月から遊撃手として水谷新太郎と併用され51試合に先発出場、自己最高の185打数45安打を記録した。その後も内野のユーティリティープレイヤーとして活躍。
高校時代の杉村を間近で見た審判に「杉村はどれ程の(凄い)選手になるのか」と言わしめる程だったが、プロ12年間でわずか4本塁打に終わった。
引退後
[編集]引退後は球団広報などのフロント業務を長く務め、1988年に鳴り物入りで入団した長嶋一茂番を務めたこともある。2000年、若松勉監督のもと打撃コーチ補佐として抜擢・起用され、その後、打撃・走塁コーチに昇格。打撃コーチとしては、現役時代の師の中西太の教えをベースとして指導している[7]。
2007年まで一軍打撃コーチとして青木宣親などを指導し、チームの打力強化に努めた。
2008年からは横浜ベイスターズの一・二軍巡回打撃コーチ(正式な肩書きは湘南シーレックス育成総合コーチ)に就任し内川聖一の首位打者タイトル獲得に貢献する[2]など横浜でも実績を残した[注 1]。
2009年からは駒田徳広と共に一軍打撃コーチを務めたが前年のチーム打率.266を大きく下回るチーム打率.239(リーグ最下位)と低迷した。4月16日の広島戦(3回戦)で、監督の大矢明彦が遅延行為により退場となったため監督代行を務めた。
2010年からは一軍打撃チーフコーチを務めたが、前年同様2年連続チーム打率12球団最低を記録するなど打撃が低迷した。
2011年は巡回打撃コーチを務めた。
2013年からはヤクルトに復帰し、二軍打撃コーチを務める[10]。
2013年10月23日、2014年シーズンより一軍打撃コーチに就任することが発表された[11]。打撃コーチとして、山田哲人の育成などに結果を残した[12]。
2015年から2017年は一軍チーフ打撃コーチ[13][14][15]。
2021年はチーム得点がリーグトップ625を記録し、6年ぶりのリーグ優勝、20年ぶりの日本一に貢献した。
2022年は2年連続リーグトップの得点力を挙げ[19]、リーグ連覇に貢献した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1977 | ヤクルト | 32 | 19 | 18 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | .167 | .211 | .222 | .433 |
1978 | 3 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1979 | 77 | 209 | 185 | 10 | 45 | 5 | 1 | 0 | 52 | 9 | 0 | 1 | 13 | 0 | 11 | 1 | 0 | 32 | 9 | .243 | .286 | .281 | .567 | |
1980 | 29 | 59 | 53 | 5 | 13 | 3 | 0 | 1 | 19 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 2 | 5 | 3 | .245 | .298 | .358 | .656 | |
1981 | 40 | 87 | 81 | 4 | 19 | 5 | 0 | 0 | 24 | 7 | 0 | 1 | 1 | 1 | 3 | 2 | 1 | 12 | 1 | .235 | .267 | .296 | .563 | |
1982 | 87 | 124 | 109 | 8 | 25 | 3 | 1 | 1 | 33 | 5 | 1 | 2 | 10 | 0 | 4 | 1 | 1 | 12 | 2 | .229 | .263 | .303 | .566 | |
1983 | 65 | 57 | 53 | 6 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 6 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | .189 | .200 | .283 | .483 | |
1984 | 60 | 91 | 81 | 8 | 22 | 3 | 0 | 1 | 28 | 11 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | 1 | 1 | 21 | 4 | .272 | .337 | .346 | .683 | |
1985 | 38 | 43 | 37 | 4 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 4 | 1 | .216 | .310 | .216 | .526 | |
1986 | 8 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1987 | 10 | 16 | 15 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .133 | .133 | .133 | .266 | |
通算:11年 | 449 | 718 | 644 | 46 | 147 | 22 | 2 | 4 | 185 | 46 | 1 | 4 | 32 | 3 | 34 | 5 | 5 | 111 | 20 | .228 | .271 | .287 | .558 |
記録
[編集]- 初記録
- 初出場:1977年4月6日、対広島東洋カープ2回戦(明治神宮野球場)、7回表に遊撃手として出場
- 初安打:1977年6月26日、対読売ジャイアンツ12回戦(明治神宮野球場)、9回裏に西本聖から
- 初先発出場:1977年7月5日、対読売ジャイアンツ13回戦(札幌市円山球場)、8番・遊撃手として先発出場
- 初打点:1977年10月2日、対大洋ホエールズ26回戦(川崎球場)、2回表に間柴茂有から
- 初本塁打:1980年9月17日、対中日ドラゴンズ16回戦(明治神宮野球場)、1回裏に土屋正勝から同点ソロ
背番号
[編集]- 2(1976年 - 1978年)
- 41(1979年 - 1987年)
- 73(2000年 - 2007年)
- 96(2008年 - 2009年)
- 84(2010年 - 2011年)
- 74(2013年 - )
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、289ページ
- ^ a b 石塚 隆 (2010年8月13日). “【プロ野球】コーチの真髄(3)〜横浜・杉村繁「ふたりの大打者を育てた挫折組のあふれる愛情」”. web Sportiva. 2013年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月13日閲覧。
- ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2003年2月17日、153頁。
- ^ “2軍で教える楽しさ ヤクルト・由規の弟、貴規は逸材だ!”. ZAKZAK (2013年3月29日). 2013年7月20日閲覧。
- ^ 杉村繁(東京ヤクルト打撃コーチ/高知県高知市出身)×二宮清純スポーツコミュニケーションズ 2015年10月26日
- ^ “ヤクルトの内川「もうひと花咲かせる!」1年契約で年俸5000万円”. SANSPO.COM. (2020年12月12日) 2021年2月20日閲覧。
- ^ “【スギのみぞ知る】ヤクルト・青木、1枚の年賀状に込められた心意気”. zakzak (2012年1月6日). 2021年9月30日閲覧。
- ^ “2013年のコーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2012年10月22日). 2013年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月30日閲覧。
- ^ “2014年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2013年10月23日). 2013年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月11日閲覧。
- ^ “山田哲人と杉村コーチの師弟コンビが目指す「とんでもない目標」”. web Sportiva (2016年2月15日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2015年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2014年10月29日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2016年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2015年11月5日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2017年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2016年10月31日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2018年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2017年11月9日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2020年コーチングスタッフのお知らせ”. 東京ヤクルトスワローズ (2019年10月29日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “2021年コーチングスタッフのお知らせ”. 東京ヤクルトスワローズ (2020年12月2日). 2020年12月15日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール2023年2月25日号増刊2023プロ野球全選手保存版カラー写真名鑑、82頁
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 杉村繁 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)